翌朝。
夢幻の姿は大陸警備機構本部に併設された病院にあった。隣には制服姿のエアが付き従っている。
「何か、ダシに使ったみたいで悪いな」
夢幻は病院の廊下を歩きながら呟くように言った。
あの後、エアの先導によってやってきた救急隊によってロキシスは病院に送り込まれた。
夢幻は付き添って病院までやってきた訳だが、そこで待ち受けていたのは怒り心頭といった様子のシャイアであった。
緊急事態とはいえ、何の連絡もなく単独行動を取った夢幻に対して、シャイアは周りに人がいるにも関わらず散々罵倒し理不尽な量の仕事を言い渡した。
結果、夢幻は汚れた服を着替えることすら許されず、執務室に缶詰め状態になり徹夜で仕事を片付ける羽目になったのである。しかも、シャイアが次々に新しい仕事を押し付けてくるため一向に終わらず、気が付けば陽が昇っていた。
エアが執務室を訪れてロキシスの見舞いに誘いに来てくれなければ、今でも夢幻は執務室で頭を抱えていた筈だ。
「いえ、私が一緒にロキシスさんのお見舞いに行きたかったので……。シャイアさんには申し訳ないことをしました」
エアが本当に申し訳ないといった雰囲気で返す。
夢幻はいや、いやと頭を振った。
「あれ以上仕事をしてもただの我慢大会だろう。あいつも休憩するきっかけができて助かった筈だ」
夢幻が完徹なら、上司であるシャイアも当然完徹である。しかも夜に今回の件での緊急会議が召集され、部署の責任者であるシャイアにも呼びがかかった。その疲労感は夢幻の比ではない筈だ。
ちなみに、エアは昨日の事件で疲れているだろうとの配慮から今日は休みになったそうだ。制服姿なのは、夢幻を迎えに本部内に入ったためである。
夢幻が執務室に缶詰になっていたのを知っていた。というよりはそういう事態になっていることを予測していたようだ。さすがにその辺りは、夢幻やシャイアとの付き合いが決して短いものではないことを物語っている。
「ロキ。調子はどうだ?」
目的の場所に到着した夢幻は、開きっぱなしになっている扉を叩いて病室をのぞき込んだ。
「あっ。おはようございます。いらっしゃい」
明るい声と共に、ベッドの横にしつらえられた丸椅子に腰掛けた人物が振り向く。癖のない金茶の髪。大きな翡翠の瞳。どう見ても十代にしか見えない童顔。ネアロである。
手に何やら書類と筆記具を持っている。始末書の内容をロキシスに相談していたというところだろう。
「ネアロ。もう動いて大丈夫なのか?」
夢幻はやや驚いた声をネアロにかける。昨日は確かネアロも病院搬送されてここで一晩を過ごしたはずだ。だが、ネアロは綺麗な制服をしっかりと着込んで姿勢良く座っている。どうやら昨日のうちに新しい制服を新調したらしい。
汚れてぼろぼろの制服を着たままの夢幻とはえらい違いだ。
「はい!おかげさまで。先輩も僕も元気です。本当にありがとうございました」
ネアロはわざわざ立ち上がって元気良く答え、頭を下げる。その一方で、奥から弱々しい声が上がった。
「俺は全然元気じゃねぇ……」
ベッドに身を預け、ぐったりとしているロキシスである。
エアの治癒術のおかげで外傷はほぼ塞がっているが、内臓の損傷がかなりひどいらしい。恐らく、ろくに物も食べられない状態なのだろう。当分の間は入院生活になりそうだと、道すがらエアから聞いた。
ロキシスの様子に、エアが夢幻の後ろから顔を出して申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいロキシスさん。私がちゃんと治していないから……」
その声に、ロキシスは驚き、慌てて飛び起きた。
「え、エア……っ」
どうやら今までロキシスからは死角になる位置にいたらしく、エアも来ていたことに気が付かなかったらしい。しかし、今のロキシスにとって急に飛び起きるということは自殺行為である。
「いっ!」
激痛に謎の悲鳴を上げ、ロキシスは再びベッドに沈み込んだ。
「ロキシスさんっ。大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄り、手を差し伸べるエア。
「いいなぁ」
夢幻の横からぽつりと呟く声。見ると、ネアロがじっとその様子を見ていた。どうやら、今回の一件ですっかりエアに惚れ込んでしまったらしい。
「心配しなくても、あの程度で進展するような仲じゃない」
ネアロを励ますつもりではないが、夢幻は二人の様子を見つめながらそう言った。
ロキシスはエアに特別な想いを抱いている。そのことを夢幻は知っている。元々女好きで、遊んでばかりいたロキシスがエアと出会ってからは女遊びを一切しなくなった。それ程に、ロキシスはエアに対して本気なのである。そしてエアもまた、ロキシスに悪い感情は抱いていない。
しかし、ロキシスはエアを大事に想う気持ちから。エアは自分の不明なままの正体や過去に対する負い目からお互いに踏み出せないまま、三年の月日が流れている。簡単に進展するような仲ではないのだ。
「というか、本当にあれ、うらやましいか?」
改めて二人の様子を眺め、夢幻が呟く。
ロキシスは痛みに我を忘れてエアにすがりついて悶絶している。正直、格好悪い。
「あ、えーっと……」
さすがに、ネアロも困ったような声を上げるしかなかった。
「今回の件では、すっかりお前に迷惑かけてしまったな」
しばらく経って、ようやく落ち着いたロキシスが夢幻に言葉をかける。しかし顔は赤く、どことなくバツが悪そうな表情をしている。格好悪いところを見せてしまって、さすがに恥ずかしい思いがあるのだろう。
しかし、ベッドに横たわったロキシスは、エアの手をしっかりと握りしめたまま離そうとはしない。エアが嫌がっていないので、夢幻はそこに対しては何も突っ込まないことにした。
「俺はいつも通りに動いただけさ。ネアロの機転に感謝するんだな。新米であの判断はなかなかできない」
「そんな」
「窮地に陥った原因もこいつだけどな」
夢幻の言葉に照れるネアロに、ロキシスは苦笑まじりに言い放つ。冗談めいた物言いだが、これはこれで容赦ない。
「お前を窮地に陥れた魔物は倒したが、まだ何かいる可能性が高いということで近々大規模な調査が行われることになったそうだ」
夢幻がシャイアから聞いた情報を伝える。恐らくロキシスも夢幻もその調査に関わることはないだろうが、一応知っておいた方がいいだろう。
「そうか。俺もあれで終わりとは思えない。お偉いさん方の判断は正しいと思う」
ロキシスの反応は概ね予想通りのものだ。
大陸警備機構で管理していて、魔物なんているはずのない地下水路に確かにいた魔物。通報にあった異音の正体としては小さすぎるカマキリの羽音。この件がこれで終わりとは思えないのは、夢幻も同感である。
「そういえば、いつも一緒にいる美人さんはどうしたんだ?」
少しの沈黙の後、話題を変えたのはロキシスである。
「ん?ああ、ウリルのことか。別に、いつも一緒にいるわけじゃないぞ」
ウリルはあの後、エアを大陸警備機構本部の入口まで送り届けてすぐに夢幻の部屋に帰ったらしい。夢幻は昨日から自分の部屋に帰っていないため、当然ウリルには会っていない。何をしているのやら。
「ウリルさんって、夢幻さんの彼女さんなんですか?」
空気を読まずに、わくわくした声で聞いてきたのはネアロだ。
「そんなんじゃない」
「まあ、そう見えるよな」
ぶっきらぼうに否定する夢幻と、うんうんと頷くロキシス。思えば、初めてロキシスとウリルを引き合わせた時も散々からかわれたものである。当然夢幻としては全力で関係を否定しているわけだが、ウリルの正体を知らないこともあってなかなか納得してもらえない。
そんな中、のんびりとした声。
「ふふ。夢幻さんは一途ですからね。行方不明の想い人のことで頭がいっぱいなんですよ」
「おいっ」
ごく自然に確信を突くエアに、夢幻は慌てて声を上げる。
「お前、まだ諦めてなかったんだな」
「あ、当たり前だろう。何のために旅をしてると思ってるんだ」
意外そうに声を上げるロキシスに言い返す。自分でもわかるほど、顔が赤い。
そう、夢幻はずっと探している。幼なじみであり、家族にも等しく、村にとって大切な存在であった一人の少女を。正直、この想いがそういうものなのかどうか夢幻にはわからない。それでも、求めずにはいられない。
「えっ、どういう意味ですか?」
ただ一人、事情を知らないネアロだけが不思議そうに声を上げる。
ロキシスとエアは笑うばかりで何も言わず、夢幻も対応に困る。
そこに、新たな声が割り込んだ。
「楽しそうに何の話をしているのかしら?」
一同が病室の戸口を注目する。ただ一人、夢幻だけは振り向かなかった。それは嫌というほど知っている声。あえて確認する必要がなかった。
程なくしてエアがいつも通りの柔らかな声で、予想通りの名を呼んだ。
「ウリルさん」
ウリルはエアに微笑みかけると、ずかずかと病室に入ってきた。
「まったく、ここを探すのに苦労したわよ。はい、夢幻ちゃん」
夢幻の隣まで来てから、ウリルは何かを取り出す。何もないところから急に物が出てきたせいかネアロが目を丸くしているが、夢幻には見慣れてしまった光景。手渡されたそれは、紺色のフード付きローブであった。
「これは……」
それは、夢幻の愛用している物と同じ物である。ただし、見るからに新品だ。ちなみに昨日着ていたものは焼け焦げた上に汚水をモロにかぶってすっかりボロボロになってしまい、夢幻の鞄の中に突っ込まれている。
ローブを広げて確認する夢幻に、ウリルが付け加える。
「シャイアからの預かり物よ」
夢幻のフード付きローブは、最初は冒険者として旅に出ることが決まった時にシャイアが贈ってくれたものである。過酷な旅の途中で駄目にして帰ることも少なくないのだが、何故かその度に新しい、同じ物を用意してくれるのである。なので、今更驚くことではないのだが。
「……また変な魔法を付与してたりしないだろうな」
夢幻は、疑惑に満ちた眼差しでウリルを見る。
昨日、このローブには魔物寄せの魔法が付与されていたことを夢幻はほぼ確信している。そうでもなければ、あんなにあっさりあいつは現れなかった。
「あんな面倒な魔法、普段は使わないわよ。それに、あれはあれで役にたったでしょう?」
返ってきたのは、肯定に近い応え。いたずらっぽい微笑み。
「次からはちゃんと説明してくれ」
「その余裕があったらね」
せめてもの頼みすらも、はぐらかされる。こうして、何度ウリルに振り回されたことか。
「あ、そうそう」
ウリルは、思い出したかのように次の話に入る。
「これもシャイアから預かってきたわよ」
こっちは物体転送の魔法を使うことなく、ウリルのベストの内ポケットから出てきた。飾りの一切ない茶封筒である。
嫌な予感がしていた。だが、受け取りを拒否するわけにはいかない。夢幻は封筒を受け取り、封を切る。中身は一枚の書類。夢幻にとって、見慣れた書式のものである。
しかし夢幻は、その文面を何度も読み返す。
「これ、さっき預かってきたんだよな?お前、中身が何か知ってたか?」
思わず、ウリルに疑惑の念を向ける。
「ええ、夢幻ちゃんを探しているって言ったら、目の前で用意してくれたわよ。その時に概ね内容は聞いたわ」
「お前らは鬼か何かか。俺は完徹なんだぞ……」
ウリルのにこやかな返事に、夢幻はがっくりと肩を落とした。
「何が書いてあるんですか?」
夢幻の様子に、不思議そうに尋ねるのはネアロだ。
「見せてもらうといいぞ」
ロキシスが面白そうにネアロに言う。概ね内容の予想がついているらしい。
夢幻は、無言で書類をネアロに差し出した。興味津々といった感じでネアロが書類をのぞき込む。
「指令書……ですか。初めて見ました。書いてあることはずいぶんシンプルなんですね。行き先と日付位しか……って、あれ?」
呟きながら書類を流し読みするネアロの視線が止まった。
「到着の日付が今日になってますけど……?」
何かの間違いじゃないんですか?
表情は、如実にそう物語っている。
「ネアロ。それは間違いじゃないぞ。こいつの上官殿はそういう人なんだ」
面白そうに告げるロキシス。
「しかも、行き先。これって、国内じゃないですよね」
引きつった笑みを浮かべるネアロから指令書を取り上げ、夢幻が答える。
「そういうことだ。つまり今すぐに出発しないと間に合わない」
「た……大変なんですね」
ネアロもさすがに反応に困っているようである。
そんな中、ウリルだけが楽しそうに物体転送の魔法で夢幻の荷物を次々に取り出していた。
「と、いう訳だから。はい、これ着替えと荷物。ちなみに、シャイアは帰って寝るから、苦情は受け付けないそうよ」
「知ってる。どうせ居たって聞いてくれる訳がない」
夢幻はうんざりした表情をしながらも、荷物を受け取る。
このタイミングで新品のローブを支給されたことから、ある程度予測できたことだ。
「ロキ。部屋の隅借りるぞ」
断ってから病室内のカーテンを引き、昨日から着たままだった汚れた制服を脱ぐ。
いつだってそう、夢幻に拒否権はない。
そして、夢幻自身、それを受け入れている。自分で決めたこと。だからもう、夢幻の瞳に迷いはなかった。
「行くのか?」
着替えを終えた夢幻に、ロキシスが声をかける。
黒服に黒のズボン。右の腰にロングソード。新しくなった紺色のフード付ローブを、袖を通さずに羽織って前で留める。それで、夢幻の旅のスタイルは完成だ。
すっかり引き締まった表情で夢幻は答えた。
「仕事だからな。結局飲みに行くのはお預けになったか。次に帰ってきた時こそ行くか。ネアロも一緒にな」
「そうだな。そうなると、俺も早く退院できるように頑張らないとならないな」
今、こうしているだけで痛いだろうに、ロキシスは明るく笑う。
「色々とありがとうございました。僕ももう少し成長して先輩を支えられるように頑張りますので、安心して下さい」
ネアロも、頭を下げながら笑みを見せる。案外、いいコンビかもしれない。
次に、夢幻は脱いだばかりの制服その他をエアに手渡す。
「エア。いつも悪いが、後は頼む」
「はい」
エアは柔らかく微笑んで手渡された物を受け取った。
いつの頃からか、エアは夢幻の留守中に部屋の掃除や洗濯をしてくれるようになった。多忙な上お世辞にも几帳面とはいえない夢幻の部屋がいつも綺麗なのは、全てエアのおかげである。
「次に帰ってきた時には、家の方にも顔を出して下さいね。お義父さまも喜びます」
「あー……まあ、時間があったらな」
エアを引き取ってくれた養父は、夢幻にとって一応保護者という扱いである。たまには顔を出すべきなのだろうが、どうにも気恥ずかしさが拭えない。
「あれで、結構夢幻さんのこと心配しているんですよ?この間帰ってきた時だって……」
「も、もう行かないと。ウリル、行くぞ」
このままではエアの小言が続いてしまう。不満そうなエアの言葉を断ち切って、夢幻はそそくさと病室を後にした。
外に出ると、朝の日差しが眩しい。天気は快晴。完徹の身体には堪えるが、旅に出るには絶好の日よりだ。
「夢幻ちゃんも、意外と照れ屋さんよね」
後ろを歩くウリルが笑いを含んだ声で言う。
「うるさいな」
夢幻は前を向いたまま、一言だけ返す。ウリルは軽快なステップで夢幻の横に並び、その表情をのぞき込む。
「何が言いたい?……って、こらひっつくな暑苦しい」
「暑いならもっと涼しい格好すればいいのに」
澄み渡った青空に、夢幻の叫び声とウリルの笑い声が響き渡る。
新しい旅がまた、始まる。