ベッドにごろりと横になり、右手をかざす。
遠く。天井を背景に、わたしのちいさな右手。その中指にはまる、銅色の指輪。
何度見返ししても、それは変わることなくわたしの指で鈍く光っていた。
「はぁ……」
いく度目かの、深いため息。
手をおろして。でも、あきらめきれなくて。また、右手を持ち上げてみる。
「そんなに気にしても、何も変わらないわよ」
かけられる言葉に、わたしは声の主に顔を向ける。
自分の机で本を開いた女性が、笑いをこらえるような表情で私を見ていた。
「先輩にはわからないよ。わたしの気持ちなんて」
わたしは、ふてくされてそう言葉を返した。
ユキネ・ストゥディウム。
わたしがお世話になることになった寮のルームメイトである。
わたしより五つも年上の中等部五年生。明るい青い瞳と、腰までとどく長い青みがかった黒髪をした、知的な美人。
学生会の副会長もつとめているそうで、絵に描いたような優等生だ。
そのような人物が同室というのは、恐らく慣れない学園生活を送ることになってしまったわたしへの配慮なのだろう。実際、ユキネ先輩はやさしいし、何かと学園生活について教えてくれる。
ただ。
相手が完璧すぎて、どうにも緊張してしまうのだけれど。
「そうね」
ユキネ先輩は、読んでいた本を閉じてからおもむろに立ち上り、わたしが寝転がっているベッドに腰をおろした。
その状況で、いつまでもごろごろしているほど度胸はない。わたしは、あわててその場に正座した。
「自分の部屋なのだから、リラックスしていていいのよ」
ユキネ先輩はそんなことを言いながらわたしの右手を取り、やさしく指輪の輪郭をなぞる。
「あつらえたようにサイズぴったり。ちゃんと貴女の魔力に反応しているじゃない」
「えっ。でも何も……」
「学生全員に配布される指輪が、サイズぴったりだと思う?」
「あ」
言葉の意味に、気づく。
確かに指輪をはめる瞬間は、少しサイズが大きかった気がする。
「だから貴女は、ここで学ぶ義務があるし、ここにいる権利がある。変に萎縮したり、遠慮したりする必要なんてないのよ」
「でも……」
どうしても自信の持てないわたし。
ユキネ先輩は、そんなわたしの手を、両手で包み込むように握りしめてほほ笑んだ。
「属性も、レベルもまだ決まっていない貴女には無限の可能性がある。それって、すごいことじゃない?」
そう言い残して自分の机に戻ったユキネ先輩は、何事もなかったかのように再び読書に没頭しはじめた。
「無限の、可能性……」
わたしは、ベッドに座り込んだまま。また、右手をかざしてみる。
そこにはやっぱり、なにも変わらない。ただのシンプルな銅色のリングが鈍く光っていて。
見つめているうちに、いつの間にか思い出していた。
そう。
あの日。あの人に初めて会った時のことを。
あの人は、わたしが一人で店番をしているときに現れた。
わたしの両親は、ちいさな雑貨屋さんを営んでいる。子供が親の仕事のお手伝いをすることは珍しいことではなかったし、わたしは積極的にお店に立つ方だった。お客さんなんてあまりこない店だったから、楽だったし。店の雑貨たちが好きだった。いいお小遣い稼ぎにもなったし。
その日も、お店のカウンターでだらりと本を広げて読みふけっていた。
からん。
扉についた鈴の音を響かせて入ってきた来客に、ちらりと視線を向けて。わたしの視線は凍りついた。
黒いローブを身にまとった長身。黒いターバンからこぼれる長い髪も漆黒。さらに、黒のなかからのぞく肌の色は褐色だった。巨大な影が現れたかのような威圧感に、圧倒されて。目が離せない。
だけど、あの人はわたしのことなんか目に入っていないようで。店内の雑貨たちに見入っていた。
その姿が、思いのほか真剣そのもので。わたしは、思わず声をかけていた。
「いらっしゃいませ。気に入ったものがあったら、手に取ってみてもいいですよ」
そこではじめて。
彼の瞳が、わたしの姿をとらえた。
きれいな薄紅色の瞳と目が合い、どきりとする。
一方。
あの人の方も、何かに驚いたようにわたしを見つめていた。
何に?
そう思わなかったわけではない。だけど、わたしは言葉を続けられなかった。
不思議と、目をそらせない。指一本、動かせない。
どのくらい、お互いに見つめ合ったままでいただろうか。
唐突に。
あの人は言った。
「君には、魔力があるね」
「はい?」
意味がわからず、聞き返す。
聞き返してから、その意味を理解する。
そう。わたしは知っている。
魔法という力が、この世界に存在すること。
そう。わたしは気付いている。
目の前にいる人物が、魔法使いであること。
でも。
だからこそ。
「冗談がうまいですね。そんな訳、ないじゃないですか」
同時に、知っている。
魔法使いは、生まれながらにしてしか、なれないこと。
だから、わたしには冗談にしか思えなかった。
自分が、魔法使いのはずはない。
だけど。
「僕が、冗談を言うように見えますか?」
薄紅色の瞳を細めて、あの人はにっこりとほほ笑む。
「だって、わたしは魔法なんて使ったことありませんよ。このお店にもいくつか魔法の力で動くおもちゃがあるけど、わたしにはどれも動かせませんし」
慌てて首を振るわたし。
「そうですか?僕にははっきりと見えていますよ。無限の可能性を秘めた、きれいな魔力が。よろしければ、そのおもちゃとやらを見せていただけませんか」
わたしは、あの人に言われるがまま。棚からおもちゃを取り出してみせた。
それは、小さな水車小屋のおもちゃで、魔法の力を注ぎ込むと水が巡回し、水車がくるくると回る仕組みだ。
「へぇ。けっこう、凝った仕組みですねぇ」
あの人は、そんなことを言いながら器用に水車を回しはじめた。
前に、常連である魔法使いのお客さんに見せてもらったことがあるので、このおもちゃが動いているのを見るのはこれで二度目。心なしか、あの時より水車の回り方が軽やかな気がした。
「これは精巧だから、動かすのにはちょっとコツがいるね。ここと、ここを持って」
おもちゃの土台の側面になる部分を指し示されて、わたしはおそるおそる指示された場所に手を当ててみる。
と。
えっ。
わたしの手を、上から褐色の手が包み込んだ。
だいじょうぶ。
驚きで身をすくませるわたしの耳もとで、そんなささやきが聞こえたような気がした。
次の瞬間。
わたしの右手から左手に向かって、何かが走ったような気がした。
水車が、ぐるりと回り。
ぽーん。と。
土台から、すっ飛んでいった。
「壊れてしまいましたねぇ。でも、動いたでしょう?」
うれしそうにほほ笑むあの人に、わたしはあぜんとして。
「今のは、あなたの魔法じゃないですか。商品をどうしてくれるんですかっ」
叫ぶように怒鳴っていた。
だけど、あの人は穏やかな笑みを崩さない。
「僕はただサポートをしただけですよ。ですが、確かに軽率でしたね。商品はこちらで買い取りますから、どうか怒らないでください」
「怒ってなんかないですっ!」
「ほら、怒っているじゃないですか。怖い」
「もう……」
なんだか、調子が狂う。
だけど。
今まで会ったことのないタイプの人間。不思議と、嫌な気はしなかった。
「とりあえず、正確に魔力が計れる装置と、上の人間を連れてきますね。では、また後で」
あの人は、そう言い残して。
わたしが止める間もなく店を出て行ってしまった。
残されたわたしは、飛んでいった水車を拾ってきて、土台に付け直した。
そうした上で、再びあの人に言われたとおりの位置を持ち、先ほどの感覚を思い出す。
案の定。
水車は、ぴくりとも動かなかった。
学園長を伴ったあの人が、再びお店を訪れて。
訳が分からないまま、わたしの魔法の力が証明されてしまったのは、その翌日のことである。
「リマ?」
不意に。名前を呼ばれて、わたしはわれに返った。
いつの間にかユキネ先輩がわたしの顔をのぞき込んでいた。
「どうしたの?にやにやしちゃって」
「なっ、なんでもないですっ!」
わたしは、驚きのあまり、飛ぶように後ろに下がった。
「ふうーん?」
ユキネ先輩は、意味ありげな笑みを浮かべてわたしを見ていた。
「そ、そんなににやにやしていましたか?」
「してたわよ。さっきまで深刻な表情で考え込んでいたと思ったら、急ににやにやしちゃって、私の方が驚いたわ。何を考えていたのかしら?」
どういうわけか、楽しそうに詰め寄ってくる。
「別に、たいしたことじゃあないですよ。その、わたしに魔法の力があるって教えてもらった時のことを思い出していて」
「その人って、どんな人なの?」
「どんな、って」
うーん。
外見はこわかったけど、話してみると優しかった。おっとりしていて。どこか抜けていて。
「なんか、変な人でしたよ」
そう、結論をつける。
「ふーん」
対して、ユキネ先輩は満足していないような様子で考え込んでいた。
不思議と、だんだん気恥ずかしくなってくる。
「も、もうこんな時間じゃない。わたし、寝ますね。おやすみなさいっ」
わたしは、まくし立てるように言って、頭まで布団をかぶった。
「そ、そうね。おやすみなさい。リマ」
わたしの勢いに押されたユキネ先輩が、あきらめて離れた気配を感じる。
だけど。
わたしの頭の中で何かがぐるぐるしていて。
わたしは、なかなか寝付くことができなかった。