scene3 わたしのしらない世界

 ならべられた机と椅子。一段たかくなった教壇。ふかみどり色の、黒板。
 天井はたかく、窓からさしこむ陽の光に、純白の床がきらきらときらめく。

 多少、内装が豪華なことをのぞけば、わたしが今まで行っていた学校の教室と変わらない。
 机の上にならべた教科書だって。こくご、さんすう、りか、しゃかい。わたしが今ながめている、魔法に関する教科書以外は、なじみの深いものだ。

 だいじょうぶ。なにも、こわくない。

 だけど。
 ざわついた教室で、ときおり感じる視線。
 興味。同情。侮蔑。
 おおむね、転校生を迎え入れるようなあたたかなものではない。
 わたしは、この教室の中でひとり。完全に浮いていた異物だった。

「おはよう。リマ・メルカートルさん」

 不意に。
 ながめていた教科書の上に、影が落ちた。
 顔を上げたわたしの目に、数人の学生の姿が飛び込んできた。
 男子も、女子もいる。そんな中、中心にいるのは金髪巻毛の少女。この面々の誰よりも背が小さいけれど、圧倒的な存在感がある。状況からして、今、声をかけてきたのも彼女だろう。
 わたしは、彼女に見覚えがあった。確か、入学式で。

「えっと……」
「アンジュ・ノーヴィリスさまでいらっしゃいます。学年一の魔法の使い手。その名前くらい、きちんと覚えておくことね」

 わたしの言葉をさえぎって、女子学生のひとりが声高に言った。
 そう。入学式で一番初めに指輪を受け取った少女。それが、そのような名前だった気がする。確かに最後まで彼女より強い輝きを持つ指輪は現れなかったため、学年一の魔法の使い手というのは、もっともな話だろう。
 それにしても。
 すいぶんと上から目線である。
 わたしが反応に困っていると、アンジュ・ノーヴィリス当人が口を開いた。

「いきなりそのような言い方では、誰だって困惑しますわよ。はじめまして、リマさん。ワタクシ、アンジュ・ノーヴィリスともうしますわ」

 にこやかなほほ笑み。差し出される右手。その中指にはもちろん、大粒の黄色い石のついた豪華な指輪がはまっている。

「は、はじめまして。リマ・メルカートルです。よろしくお願いします」

 わたしは、慌てて差し出された右手を握り返した。
 アンジュのあたたかな手が、わたしの手をつつみ込む。

「突然こんなところに放り込まれて、不安でしょう。もしよろしければ、ワタクシとお友達になりましょう。わからないことがありましたら、なんでも相談なさってくださいね」

 アンジュはそう締めくくると、わたしの返事を待たずに自分の席へ戻って行ってしまった。周囲にいた他の学生たちも、わたしのことをちらちらと見ながらもアンジュに追従するようにそれぞれの席へ着く。
 これが、お嬢様とその取り巻きというものなのか。
 まるで、物語の中の世界のようで、どきどきしてしまう。
 わたしは、あの人たちとお友達になれるのだろうか。

 だけど。
 そんなわたしの思いは、すぐに浅はかなものであったと気付かされる。

 

 初めての授業。
 机の上に置いてあった筆記具を手に取った瞬間。

 ぱちん。

 軽い音とともに、わたしの手の中で筆記具がはじけた。

「きゃっ」

 痛みと驚きで、思わず悲鳴を上げる。

「どうかしましたか?」
「い、いえ。なんでもありません」

 いぶかしげに詰問する担任教師に、慌てて返答を返す。

 くすくす。

 学生たちの笑い声。ひそひそしたささやき。
 その意味に気付かないほど、わたしは鈍感ではない。
 今の出来事は、気のせいでも、偶然でもない。それは、仕組まれた、魔法によるいたずら。
 そして、仕組んだのはもちろん、彼女だ。
 わたしは、知らず、右手を握りしめていた。

 これが、わたしにとって地獄となる学園生活のはじまりだった。