創世語(そうせいのかたり)

 街の酒場は、昼と夕の狭間という中途半端な時刻にも関わらず混雑していた。
 大半は休憩中の船乗りや職人達で、真っ昼間から豪快に酒をあおっている者も多い。それに混ざって旅人らしき姿がちらほら、といったところだろう。混雑した酒場では、それらの者が同席している卓も珍しくない。

「兄ちゃん、詩人さんだろ。ここで同席になったのも何かの縁だ。一曲お願いできないかい?」

 スキンヘッドの船乗りらしき男が、向かいの席に座っている旅人風の出で立ちをした青年に声を掛けた。確かに、青年の隣には小振りのリュートが立て掛けられている。間違いなく、吟遊詩人と呼ばれる職業の人間であろう。
 吟遊詩人の青年は、答える代わりにリュートを抱え、一音、その弦を弾いた。
 不思議に甲高いその音に、ざわついていた店内が一瞬静まりかえる。
 その瞬間を見計らって、青年は言葉を紡ぎ始めた。

「ここに語るは、創世の物語……」

 男性にしては高く、女性よりは低い。絶妙に澄んだ声が、広い酒場の隅々まで響き渡った。

 

 それは、諸説ある世界創世の話のひとつ。

 昔、世界は豊かな資源に恵まれていた。
 人々は、高い技術力を持って資源を活用し、その豊かな暮らしを享受していた。
 しかし、貪欲なのが人の性、更に豊かな暮らしを求めて資源を浪費した結果、その、豊富な資源はあっという間に少なくなっていった。
 人々は、豊かな暮らしに未練を持ちながら、貧しい暮らしを強いられる事になった。
 そんなある時、ひとりの娘が扉を見つけた。
 扉には、強い力が秘められていた。
 この扉を開けば、豊かな暮らしを取り戻せる。
 そう思った娘は、扉を開いた。
 扉の向こうにあった物は、人には過ぎた禁忌の力。
 力は暴走し、瞬く間に世界を滅ぼしてしまった。
 娘は、扉を開いた事を悔い、扉の前で祈りを捧げ続けた。

「世界を、蘇らせて下さい」

 と…
 祈りが届いたのか、それは、扉の一番奥から現れた。

「そなたの、望みを叶えよう」

 それは、光に包まれた一体の竜であった。
 しかし、代償として竜が要求した物は、娘の命であった。
 娘は、世界の為に竜にその身を捧げる事を決意する。

 かくして、娘の命と引き替えに世界は蘇えり、今の世界が誕生した。

 

 創世話としては信憑性の薄い話ではあるが、その悲しくも美しい物語は吟遊詩人のサーガとしてはポピュラーで人々の人気も高い。

「こういう話、好きなの?」

 出し抜けに声を掛けられ、酒場の片隅で何の気無しにその唄に耳を傾けていた人物は、声の主に視線を移した。

「戻ってきたのか」

 問いかけには答えず、ぽつりと呟く。
 その人物は、店内だというのに人目を避けるようにフードを目深に被っていた。声色から、若い男性であろうことがわかる。恐らく二十代半ば位であろうか。フードから僅かに碧眼が覗いている。その、人を寄せ付けない雰囲気からか、彼の席には同席している者はいなかった。

「近くに居るみたいだったから、顔を見に来ただけよ」

 男の向かいの、空いている席に腰掛けながら、声を掛けた人物はそう言った。問いかけは無視された形になっていたが、気にした様子はないようだ。
 驚く事に、その人物は幼い少女であった。
 黄金に輝く巻き毛はツインテールにされ、黒に白いレースをあしらったリボンで結ばれている。珍しい事に、意志の強そうな瞳も、髪と同色の黄金に輝いている。身につけている衣服は、リボンと同じ、黒を基調とし、白レースで装飾されたワンピース。その、お嬢様然とした格好と、どう見積もっても十は越えていないであろう幼さは、向かいに座っている男とは正反対の意味で浮きまくっている。
 どう見ても異様な組み合わせの二人であるが、混み合った店内。未だ吟遊詩人が注目を集めている事もあって、二人の事を気に留める者はいなかった。
 給仕の女性だけが、男の注文した料理を運んできた際に、ちらりと少女を見た。が、ただの連れと思ったのか、関わらない方が賢明と判断したのか、特に詮索する事なく立ち去っていく。

「創世話ね・・・信じる人なんて、いるのかしら」

 少女が呟く。その内容はとても子供の言う事とは思えないが、ぶらつかせた足や、無邪気な口調は年相応で、遠目から見ている分にはお話をせがんでいる子供にしか見えない。

「お前がそれを言うのか」

 対して男は、少し呆れたように言う。
 男は知っているのだ。目の前にいるこの少女こそが、最も神に近い存在であるという事を。

「駄目だったかしら」
「別に」

 短い会話のやり取りだけをして、男は運ばれてきた食事に手を付け始めた。
 少女は、特に何をするでもなく頬杖を付いてその様子をじっと眺める。
 男も、そんな少女の視線を気にすることなく食事を終えた。
 そうして、食事を終えた男が立ち上がるのに合わせて少女も席を立ち、二人は連れ立って酒場を出た。

「行くのか?」
「ん」

 男の短い問いに、少女は頷く。
 ふらりと現れて、ふらりと去る。いつもの事なので、男は特に気にしない。

「また、顔出すわ」
「ああ」

 フードで隠れて見えないが、男はとても柔らかい表情で少女を見つめた。彼にとって、彼女は命の恩人であり、現在唯一彼の事を気に掛けてくれる…そんな相手であった。
 少女は、そんな男に一瞬だけ微笑みを返して、背を向けた。

「神話なんて、大体が半分嘘で半分は真実よ」

 背を向けたまま、不意にそんな事を言い残し、少女は街の雑踏へ消えていった。

「神話…か」

 男は、少女が見えなくなってからもしばらくその方向を見つめていたが、やがて何事もなかったかのように少女とは反対側の路へと進んだ。

 そして、そこにはいつもと変わらない雑踏だけが残された―…