虐げられた戦士とお嬢さまの手

※真ウィザードリィTRPGのイメージノベルです。

 

 いつだって、虐げられていた。
 自分を取り巻く影は、目だけがぎらぎらしていて。
 意識は朦朧としていたはずなのに、鮮明に覚えている。
 かけられる、心無い言葉。
 土の味と、微かに混ざる血の味。
 全身に走る痛みより、心の方が痛かった。

「そんな所で、何をされていますの?」

 かけられた声に目を開くと、想定以上に近い位置に女の顔があった。

「え、ええっ。うわっ、いたたたた」

 慌てて飛び退こうとして、もたれていた柱に背中を強打する。そこにはすでに先程殴打されたことによる傷が残っており、痛烈な痛みに息を詰まらせる。
 そう。俺は傷の痛みをなだめるために、ひとり厩の影でじっとしていた。そして、いつの間にかうとうとしていたらしい。

「大丈夫ですか?」

 女が心配そうに、俺の顔をのぞき込んでくる。
 知らない顔ではない。彼女は、俺の雇い主の一人娘だ。

「問題ない。夜風に当っているうちに、眠ってしまっていたみたいだ」

 あまり関わるべきではない。
 そう思った俺は、あまり失礼にならない程度にそっけない態度で立ち上がろうとした。
 女は、そんな俺に対して何を思ったのか、背中を思いっきり叩いてきた。

 痛い!だから、そこには傷が。

 痛みに耐えきれず、そのままうずくまる。目に涙がにじんでいるのがわかる。まったく、格好悪い。

「全然、大丈夫そうには見えませんけれど」

 勝ち誇ったように声を上げて。驚いたことに、女はしゃがみこんで俺の背中に今度は優しく手を当てて、囁くように言葉を続けた。

「ごめんなさい。お父様に、やられたのでしょう?」

 知っているのか。

 しかし、俺にはそれを肯定することができなかった。それは、言ってはいけないことだ。
 黙り込む俺を見て、女の目がみるみる吊り上っていくのがわかった。

「どうして何もおっしゃらないの?辛いのでしょう?痛いのでしょう?声を発しなければ、何も変わらないでしょう」

 その言葉に、さすがに俺も黙っていられない。

「世間知らずのお嬢様が、わかったような口をきくな。みんなに可愛がられて、何にも不自由していない奴に、俺の気持ちなんかわからない」
「私が、何も知らないお嬢様ですって。貴方こそ、私のこと何もわかっておりませんわ」

 女は、一度間を空けて、続ける。

「お父様が私の見えていない所で何をしているのか。それくらい知っています。そして、私はその行いを許せません。お父様のことも、この家のことも、嫌いです」

 その瞳には、決意に満ちた光が宿っていた。
 それは、俺にとって知らなくもない瞳。
 あの日、あの時。この世界から抜け出そうと思った自分は、同じ瞳をしていたと思う。
 だからこそ、俺は気付いた。
 彼女が、しっかりと旅支度を整えていたことに。

「お前、まさか家出」

 俺は、頭を抱えたくなった。
 何てタイミングではち合わせてしまったんだ。

「戻るつもりはありません。ですから、私はもうお嬢様でも何でもない」
「まいったな。俺はお前を止めなければならない立場だと思うんだが」

 どうにも、このお嬢様にはかなわない気がする。

「そう。貴方が私を止めるつもりでしたら、私にも考えがありますわ」

 女は、ふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべて、懐から短剣を取り出す。そうして、何気ない仕草でその短剣を俺に渡してきた。

「ん?」

 不審に思ったその瞬間、女はすぐに俺の手から短剣を奪い取り。

「おいっ」

 止める間もなかった。
 月明かりに照らされて。束になった金糸がきらきらと舞い落ちていく。
 そして、すっかり髪の短くなった女が、再び鞘に戻した短剣を俺に手渡してくる。
 呆然とする俺に、女は言った。

「これは貴方に差し上げますわ。この先の旅では必要になることもあるでしょう」
「まさか、俺に付き人になれと……?」
「貴方に、拒否する権利なんてありましたかしら。どちらにしろ、私はこれをここに置いていくつもりですが」

 にっこりと笑う女。
 このままでは、俺が雇い主の愛娘に危害を加えたことになってしまう。ここに居続けることができなくなってしまった以上、このお嬢様について行くしかないということだ。

 まったく、かなわない。

「わかった。お前について行くよ」

 俺は、両手を上げて降参の意を示した。

「わかっていただければよろしいです。行きましょう。ジェイ」

 女が自分の名を知っていたことに驚き、差し伸べられた手を取ろうとして、自分がこの女の名を知らないことに気付く。

「よろしく。えっと……」
「自分の使え先の娘の名も知りませんの?先が思いやられますわね」

 あきれたように言いながら、女は俺の手を取った。

「ステラですわ。よろしく」

 いつだって、虐げられてきた。
 何もかも、諦めていた。
 身体に残された傷も。心に残された傷も。きっと癒えることはない。

 だけど。

 確かに、希望はある。
 右手のぬくもりに、いつしか俺は、未来という名の希望に思いを馳せていた。