奇妙な相棒

 ずっと、ひとりだった。

 確かに、仲間には恵まれた。
 認めてくれる人達は、確かに存在した。

 それでも。

 自分は、ずっとひとりだと思っていた。
 失ってしまったあの時から。

 

 夜の森。

 漆黒の空に伸びる枝葉。隙間から、白い月明かりが薄く差し込み、更に陰を色濃く浮かび上がらせる。

 幻想的な空の風景とは裏腹に、地上のやや開けた場所では焚き火が焚かれ、太い木の幹を。地に落ちた葉を赤々と照らしていた。
 もちろんそれは、人の手によるもので。焚き火を囲むは、旅人らしき二人組。しかし、二人の間に流れている空気は、穏やかと呼べるものではなかった。

「百歩譲って、ついてくるのは大目に見る。だが、足だけは引っ張るな。何度も言ったはずだ」

 二人組の片方が、苛立った様子で文句を付ける。
 長い銀髪を頭の高い位置で束ねた、背の高い男。黒服に紺色のフード付きローブを羽織っているが、それらの上からでもわかるほどしっかりと鍛えられた体格をしているのがうかがい知れる。
 一方。
 二人組のもう片方は、男の声を聞いているのか。聞いていないのか。全くの無表情のまま、右手に小さな炎を乗せて踊らせている。そんな芸当ができるのは、魔道士以外にいない。

「聞いているのか?」

 返事を返さない相手に、男は更に苛立ちをつのらせる。

「お前がいなかったら、俺は間頃この国境を越えていたはずなんだ。まったく。お前のせいで予定がめちゃくちゃだ」

 そこまでまくし立てて、男は大きく息を吐く。

 これでは、自分が滑稽なだけではないか。

 男の名は、柊夢幻。
 大陸警備機構という組織に所属している。冒険者として各地を旅しながら任務をこなしていくというのが、夢幻の仕事だ。
 そして、目の前の焚き火を挟んで座っている魔道士はウリル。そう、本人は名乗っている。
 肩に、ふわりとかかる亜麻色の髪。整った顔立ち。薄い布を重ねた衣服は、その下の細いながらも柔らかな体型を浮かび上がらせている。誰もが思わず振り返ってしまいそうな美女の姿。しかし、その正体はれっきとした男であり。元、盗賊団の頭であり。
 目下、夢幻の悩みの種である。
 ウリルとは、先日の事件をきっかけに知り合った。けっして、お互いに印象の良い出会い方ではなかったはずだ。しかしウリルは、夢幻の拒否の声も無視して、勝手に夢幻の旅について来てしまったのである。
 そして、隠密に国境を越えたい夢幻の意図に反し、たまたま出会った魔物相手にひときわ派手な魔法を使ってしまった。当然、近くにいた国境を警備する兵士達は慌てふためき、警戒し、夢幻達は先へ進めなくなってしまった。
 そうこうしているうちに夜の帳が降り、仕方なく一旦国境付近を離れて、警備が落ち着くまで野営をすることになって今に至る。という訳である。

 まったく。忌々しい。

 苛立ちを、近くに落ちていた枝にぶつける。瞬間。

「っつ!」

 左腕に強い痛みが走り、思わず顔をしかめる。
 先の事件の際に負った傷が開いたらしい。
 仕事柄、怪我を負うことは珍しくない。夢幻自身、痛みには強い方である。それでも、その傷が浅いものではないことと苛立ちが重なり、痛みの感覚に不快感が募る。

「ちょっとした怪我くらい、治せたっていいんだがな」

 それは、無意識に出た独り言。
 しかし意外にも。今までずっと黙ったままのウリルから言葉が返ってきた。

「この世に治癒魔法は存在しない。そんなこと、常識じゃない」

 知っている。
 魔法という存在と知ると同時に、教わったこの世界の常識。
 だけど……

「もし……」

 予想外だった返事に、夢幻はこの魔道士に聞いてみたくなった。

「もし、そんな奴がいたら。それは、どういう存在なんだと思う?」

 ウリルの、炎を弄ぶ手が一瞬だけ止まった。しばし、深い青色の瞳が閉じられる。考えている。というより、言葉を選んでいるようだ。

「そうね」

 そう長くない思考の末、ウリルは口を開いた。

「神か。悪魔か……そんなところかしらね」

 聞いておきながら、夢幻は返す言葉を持っていなかった。肯定も、否定もできなかった。
 しかし、言葉を返す必要はなかった。
 突然、ウリルが掌で弄んでいた炎を焚き火に落とした。その瞬間、焚き火がふっとかき消える。辺りが、暗い闇に閉ざされる。

 何を……

 言いかけて、はっと口をつぐむ。
 遠く。微かに。葉の擦れる音を、夢幻の耳も捉えたから。
 視線を向けると、ウリルは唇に指を当てて、ゆっくりと頷く。

「動き出したようね。今なら、越えられるわよ」

 実際に、言葉が発せられた訳ではない。だけどその言葉は、はっきりと夢幻の耳に入る。
 そうして、ついて来い。と言わんがばかりに森の奥へと歩き出す。

 普段はふざけてばかり。大事なことは、それとなくはぐらかされる。言動が腑に落ちないことも多い。まだ出会ってさほど経っていないこいつのことは、わからないことだらけで。
 だけど。
 真剣な表情。慎重な足取り。
 今のウリルは、間違いなく頼もしい相棒であった。
 まだ、納得できない部分は確かにある。
 だから。

 お手並み拝見といくか。

 夢幻は、今。この時だけは、目の前の奇妙な相棒の背中を信用することにした。
 姿が見えるか見えないか。そんな辺りまで先行しているウリルを追って、夢幻は森の奥へ足を踏み出した。

 そして。

 夢幻とウリルは、その日のうちに国境を越えた。