ウリルサイド4.転機

「仲間にならないか」

 そう言ってきた奴は、とにかく掴み所のない男だった。
 軽薄な印象。おっとりした口調。柔らかな物腰。そうありながら、口にする言葉は的を得ていて。ぼんやりしているようで、強い男だった。あの時。あの状況で、あれ程冷静な立ち回りができる人間はそうはいない。そう、初めて奴と一戦交えた日のことを思い出す。

 私は、その出会いとその一戦をきっかけに。
 盗賊団の頭だというそいつの言葉に従い、彼らの仲間となった。

 その一戦において、私が完璧に敗北を喫したから。
 だけど。
 そんなこと、ただの言い訳じみた表向きの理由にしか過ぎない。
 本当は。
 私には何もなかった。
 生きることも、死ぬことも赦されず。当てのない彷徨。私には、何のこだわりもなかった。そいつの申し出を、拒む理由がなかった。ただ、偶然の出逢いと流れに身を任せただけ。

 そんな私に、あいつは様々なことを教えてくれた。
 それは私にとって、知る由もなかった世界。だからこそ、私に必要だった世界。だからなのか。ここに来てから、少なくとも自らの死に執着することはなくなった。少しは、この世界を楽しいと思えるようになった。
 そして私は、興味を持った。
 ただの盗賊とは思えないそいつが、どんな奴なのか。

 だけど、そいつのことを深く知る機会はもうない。

 一年前、そいつは病によりこの世を去ったから。
 元々、人知れず持病を抱えていたらしい。本人も、ある程度のことは覚悟していたのだろう。その時のために、そいつが万全の準備をしていたことだけは確かだ。

「君は人の上に立つべき人間だ。俺よりよほど立派にやれる」

 その言葉を聞いたとき、私は少なからず混乱した。
 自分はそんな人間じゃない。知ったような口を聞くな。決めつけるな。押し付けないで。
 だけど。反論はできなかった。
 その瞬間、理解したから。私を仲間に誘ったこと。色々教えてくれたこと。他の人に比べて、格段に良くしてくれたこと。それらは全て、善意でも、好意でもなかった。最初から、こうするつもりで私を仲間に引き入れたのだ。
 そして今までそれを見抜かなかった私には、拒否権なんてなかった。
 私は、流されるままにこの盗賊団の頭の仮面を被ることになった。

 あれから一年。

 表向きは上手くやれている自信はある。元々、仮面を被ることに慣れている身だ。盗賊団の頭としての仮面。女としての仮面。別に不自由とは感じない。
 だけど。これでいいの?ここに私の居場所はあるの?
 自問自答。
 必死に自分で自分を誤魔化しているけれど、時々あの時のような空虚な気持ちになる。

 私は、今でも自分自身の存在を認められない。

 

「ウリル?」

 呼ばれたのは、私のことだ。
 すっかり慣れたこの名。本当は、私の名ではない。名前を尋ねられたらあの時。何て名乗ればいいかわからなくて。これしか出てこなかった。
 偽りだらけの自分を隠すように、ごく自然に顔を上げる。
 私をのぞき込むのは、翡翠の瞳。ふわりと流れる薄茶色の長い髪。この盗賊団で唯一、本物の女性の姿。私は、彼女の名を呼び応える。

「サシャ……どうしたの?」
「お茶、淹れてきたわ」

 彼女は穏やかに微笑み、私の向かい側に腰掛ける。目の前のテーブルには、いつの間にかカップが二つ。サシャに礼を述べてから、カップに口を付ける。温かな液体に、ふわりとした香草の香りが心地良い。

「ぼーっとしていたみたいだったけど、何を考えていたの?」
「まあ、色々と。ね」

 問いかけてくるサシャに、曖昧な返事を返す。
 色々。考えなければいけないことは、まさに色々だった。志半ばでこの世を去ったあいつのために、何ができるのか。現状、目の前にある問題をどう片付けていけば良いのか。近い将来、頭になるべき男に、どう繋げていくか。
 サシャは、こういう時はあんまり深く詮索してこない。ただ。

「あの人も、ここでよくそうやって考え事をしていたわ」

 穏やかな表情でそう話し出す。

「一人で頭の中だけでまとめた方がはかどる。そう言ってた。だけど、私にはそんなことだけじゃなくて。もっと深い、強い感情が垣間見えたの。あの人には、何が見えていたのかしら」

 その言葉は、暗に私の内心を見透かしているようで。意外と勘の良い彼女に、どきりとする。
 サシャは、前の頭であるあいつの愛人。そう、紹介された。何故、恋人ではなく愛人なのか。当時はそんなことを思った。仲が良くても、お互いを信頼していても。二人の間には、越えられない何かが確かにあったのだということなのだろう。もっとも、そんな感情は私には理解できない。理解できるのは、彼女があいつと懇意の関係であり、同時に本来あいつの後を継ぐべきである奴の姉であるという事実だけである。

「貴女は、私がここにいることに不満はないの?」

 だから、私はこんな質問を投げかける。私が頭であることに不満がないのか。そう、遠まわしに聞いたのだ。解りにくい問いかけ。その意味を、サシャは正確に理解して返事を返してきた。

「あの人が決めたことだから、特に不満はないわ。ウリルも、ちゃんとやっているしね。それに……わたしは、正直シュンが頭にならなくて良かった。そう、思っているの」

 最後に。自らの弟の名を出す際に、僅かな躊躇い。

「意外ね。てっきり自分の弟には上に行ってもらいたいのだと思っていたわ」
「自分の弟だから、よ。これでも私はずっとあの人の側にいたの。今の、ウリルの側にもね。だから、頭であることがどれほど重荷か知ってる。シュンには、背負わせたくない。これが姉のわがままなのはわかってるし、シュンがそう思っていないこともわかっているけれど」
「そう……」

 いつかは、シュン。サシャの弟を頭にする。あいつはそのつもりだったし、私もそのつもりであった。だけど、サシャはそれを望んでいないし、シュンは未だ未熟な部分が多い。

「それに、ウリルはあの人に似ている」

 続けられるサシャの言葉に、少なからず驚く。

「どこが。って言われると難しいんだけど。だから私も、安心してウリルに委ねられるの」

 そういう風に。私のことを見ていたのか。ほんのちょっと気恥ずかしくなって、話題を変える。

「サシャは、最近調子はどう?」

 精神的に不安定な面があるサシャの体調を聞いてみる。これも、あいつに頼まれたことのひとつだ。

「そうね。みんなのおかげで、平穏に過ごせてると思うわ。キースさんも、まだここに来たばかりなのに私のことを気にかけてくれるしね」
「キース……ね」

 サシャから飛び出してきた名前に、私は内心顔をしかめる。キースとは、先日シュンが連れてきた男の名である。圧倒的な強さを持ち、なかなか頭も良い切れ者だ。口数はあまり多い方ではないが面倒見が良く、あっという間に盗賊団のメンバーに溶け込んでしまった。しかし、だからこそ私にはそいつを信用できない。

「あいつには、気をつけた方がいいわよ」
「そうね。ウリルならそう言うと思ったわ」

 私の忠告に対して、サシャはあっさりと頷いた。だけど。

「でもね」

 そう、続ける。

「信じたいの。シュンの。私の弟が見込んだ人を」

 それはサシャの悪い癖。信用するのと、頼り切るのは違う。だけど、サシャは弟のことを誰よりも心配しながら、誰よりも依存している。その態度は頑なで。そう言われると、私は口を閉ざすしかなかった。

「お頭!いらっしゃいますか!」

 静かになった室内に、ノックの音と少々慌てた声が響いた。
 立ち上がろうとするサシャを目で制して、自ら立ち上がり扉を開く。そこには、息を切らした少年がひとり。私が来てからとある事件をきっかけに盗賊団に加入することになった少年で、まだ子供といっていい年頃だ。彼には、一緒にここに入り、いつも一緒に行動する相棒がいたはずだが。

「どうしたの?ルダ」
「外で稽古してたら、魔物に襲われたんだ。それで、エイリが……」

 少年は泣き出しそうに、相棒の名を出して言葉を詰まらせる。彼の身に何かあったのは、一目瞭然だ。

「エイリは今、どこにいるの?」

 問う。この時間だとバルガ達は外を巡回していることが多いし、シュンも昨日から出張している。今、アジトに人員は少ない。最悪、外に置き去りで助からない状態なのではないか。そう思い、緊張が走る。
 しかしルダから返ってきたのは意外な、いや、もしかすると心の奥底で想定していた答えだった。

「部屋で寝てる。キースが助けてくれたんだ」
「わかったわ。すぐ行く。サシャ」

 今はエイリの様子を見ることが先決。声をかけるまでもなく付いて来る用意をしていたサシャを伴って、ルダを先頭に彼らの部屋へ向かう。

 

 私は、考えていた。
 ここ数日で、格段に魔物が増えている。何故急に?
 キースが、都合良く通りかかったのは偶然?
 疑問は沢山あったが、その答えの手がかりは全く掴めなかった。

 盗賊団の面々の寝室が連なる一角の中でも特に小さい部屋が、若者達。つまり、ルダとエイリの部屋である。
 扉はなく、窓もない。簡素な部屋の両サイドにベッドがひとつずつ置いてあり、中央の机に置かれた燭台の灯りが室内を照らし出している。片方のベッドは空だが、もう片方。右側のベッドだけ布団が盛り上がっていて、私達の気配を感じたのかもそりと動く。

「エイリ。大丈夫?」

 ルダの呼びかけに、エイリは顔を向ける。目の前のルダ。その横に立ち、のぞき込むサシャ。後ろに立つ私と、順番に視線を向ける。

「お、お頭。すいません。いたた」

 慌てて上体を起こしかけたエイリは、痛みに顔をしかめる。
 上半身と右腕に包帯が巻かれ、所々からうっすらと血が滲んでいる。意識ははっきりしているようだが、決して軽傷ではないのは明らかだ。

「無理に動いちゃだめよ。エイリ」

 サシャが手を差し出して、ゆっくりとエイリの身体を横にする。

「怪我の具合はどう?」
「怪我自体は深くないみたい。これなら二三日静養すれば歩ける位にはなると思うわ」

 私の問いに対するサシャの答えに、安堵の溜め息をこぼしたのはルダだ。
 よほど心配だったのだろう、エイリの枕元に座り込んでしまった。

「ところで、キースはどこに行ったのかしら?」

 二人を助けたはずのキースの姿が、どこにも見当たらない。
 私の問いに、ベッドに横たわったままのエイリが答える。

「キースなら、森の様子を見てくるって行って出て行ったよ」
 その答えに、私の意志は固まった。

「私も、様子を見に行ってくるわね。ルダ、襲われた場所と、その時の状況を教えて」
「お頭!俺も一緒に行きます」

 驚いたように声を上げるルダを手で制する。

「あなたはここに残って。アジトを、エイリを守る人員も必要よ」

 目線を合わせ、そう伝える。ルダは、渋々ながらも納得したのか話し始めた。

「俺達、いつもの広場で剣の打ち合いの稽古をしていたんだ。エイリと向かい合って、もう一戦。と思ったところで、エイリが突然ストップをかけてきた。何事かと思ったけど、すでに剣を振り上げた俺は動きを止められなかった。そしたら、後ろから殴られるような衝撃があって……気が付いたら俺は地面に倒れてて、後ろでエイリが何か獣のようなものにのしかかられていた」
「ルダの後ろのしげみに、目のような光りが見えたんだ。最初狼と思ったけど、翼みたいのが見えた。すぐに魔物だと気付いたんだけど、いまいち対処がわからなくて、このざまさ」

 エイリが補足する。

「エイリは、ルダのことをかばったのですね」

 穏やかに微笑み、エイリの頭を撫でるサシャ。エイリは真っ赤になっている。

「そ、そんな。とっさに身体が動いていただけですから」
「とっさに動けたからこそ、本当にルダのことを思っている証拠よ。それにしても……その状況で、無事で本当に良かった」

 サシャが感極まってエイリの頭を抱き抱える。傷に障ったのだろう、エイリが痛そうに顔をしかめる。だが、拒む力も残っていないのか、本意なのか。そのまま大人しくサシャの腕の中に収まっている。
 悔しそうに話を続けるルダ。

「俺も、助けようと思ったんだ。だけど、身体が震えて、魔物に殴られるエイリをただ見ていることしかできなかった。そこに、キースが来てくれたんだ」
「僕達でどうにかできる相手じゃなかったからね。キースが来てくれて、本当に助かったよ」
「その後はあっという間さ。あっという間に魔物をやっつけて、エイリの手当てまでしてくれたんだ」

 二人とも、まだまだ年若い。さぞかし怖かっただろう。そう思っていたが、今はどちらかというとキースの行動に心底興奮している。そういった印象である。

「話してくれて、ありがとう。行ってくるわ。サシャ、ルダ。留守を頼むわね。エイリはゆっくり休むこと。いいわね」

 言い残し、私は足早にアジトを出た。

 

 ルダが言っていた広場は、アジトの裏手にある。
 入り組んだ森の中。それなりに広さがある広場は、アジトに近いこともありルダ達だけでなく盗賊団の面々が良く訓練に使用している。
 案の定、広場には誰もいなかった。
 ただ、中央よりやや外周よりの位置の草がぬるりとしたもので濡れている。茶褐色に変色している体液らしきもの。わずかに混ざった赤黒いもの。恐らく、茶褐色のものが魔物の体液で、赤黒いものがエイリの血痕だ。
 ここで魔物に襲われたのは、間違いない。
 血痕の位置から推察される、魔物がいた方向に足を向ける。予想通り。ややぬかるんだ土に魔物のものと思われる足跡が残っていた。足跡の続く先はアジトとは反対側だが、この方向は街道側だ。魔物の生息域は、意外と森の浅い場所なのだろうか。それとも。
 森で頻繁に魔物が目撃されるようになったのは、つい最近の話である。それこそ、キースがこの盗賊団に来てからだ。偶然だろうか。だが、あまり他人と馴れ合わないシュンが、ある日突然連れてきたということも気になる。素性の知れない男ということもあり、偶然には思えない。
 何か、胸騒ぎがする。
 不安な気持ちを抱えながら、私は足跡をたどって森を歩いた。

 道すがら、思い立って木陰をのぞき込む。予想通り、そこには葉のぎざぎざした植物が生えていた。怪我に効く薬草だ。水分を加えて患部に当てておけば治りも早くなるし、鎮痛効果もある。多少眠くなる副作用もあるが、休養が必要なエイリには良い効果だろう。
 この辺りに生えている薬草の効果を教えてくれたのもリオだった。森の中には様々な草が生えていて、食べられるもの。毒を持つもの。薬になるもの。お茶にすると良いものと、効能も色々だった。リオはそれらをひとつひとつ。丁寧に教えてくれたものだ。
 懐かしく思いながら薬草をひとつふたつ摘んだところで、視界の隅を何かがよぎった。微かに捉えた毛並みにはっとして視線を向ける。森の奥に走っていく獣の姿。小さい。どうやら、狼の子供だったらしい。
 だが、安堵はできない。
 狼の子供を追いかけるように、獣の群れが現れたから。いや。それは、もはや獣と呼んで良いかすらわからなかった。とげの生えたもの。肉が不自然に隆起したもの。鉤爪と牙だけが、やたらと長いもの……間違いなく、魔物の群れであった。
 とりあえず、一旦木の陰に隠れる。魔物避けの魔法を使っているため、向こうから襲ってくることはない。しかし、その数。異様な空気。薄ら寒い恐怖と緊張が走る。
 だけど、ここで震えてやり過ごす訳にはいかない。
 そうしたら、先程の狼の子供は助からない。そして、その先にある私の仲間達も。私は、頭としての責務を全うしなければならない。今の私は、そのために存在しているのだから。

 まずは、試してみるか。

 意を決して、木の陰から前へ出る。それだけでは、目の前の魔物には認識されない。目の前の。一番近くにいる、一体の魔物の動きに慎重に気を使って。そして、私は自分にかけてあった魔法を解いた。
 途端。
 目の前の魔物がびくりと身を震わせ、こちらを向く。
 突然現れた気配に対する驚き。それは一瞬。すぐに身を低くし、うなり声を上げる。ただ、すぐには襲いかかってこない。こちらの出方を伺っているのか、それとも。
 うなり声に呼応するように他の魔物がこちらを向くのに、そう時間はかからなかった。一体、また一体。あっという間に、取り囲まれる。
 大丈夫。慌てる必要はない。
 この程度なら、ひとりでも片付ける自信がある。まずは様子を見るのが先決だ。そして、事態の原因を。解決の糸口を、つかむ。
 突如。

「こっちだ!」

 声が上がった。
 予想外の展開に、虚を付かれる。私も。魔物達も。
 その間に、器用に魔物の間をすり抜けて一人の男が走ってくる。
 早い。
 声を上げる隙もなかった。気が付くと、私はその男に手をつかまれていた。
 透き通った紫水晶の瞳と目が合う。刹那。不思議な感慨が、私を襲った。それは、あいつに初めて会った時に似ていて。そして、更に昔に感じた。懐かしく、切ない感覚にも似ていて。

 それはまさに、運命の出会いだった。
 その出会いをきっかけに。
 私は、前へ踏み出していくことになる。