ウリルサイド3.予感

「サシャ。落ち着いたかい?」

 私の名を呼ぶ声。のぞき込む、くすんだ青色の双眸。
 何が起こったのか。記憶を手繰る。
 弟のシュンの怪我の手当てをしていた。弟は、えらく機嫌を損ねていて。一緒にいられない空気になって、私は部屋を飛び出して。そして。
 どうやら、相当取り乱していたらしい。
 言われなくたって、解る。解る程度には、私もこの症状との付き合いが長い。
 昔。自分の不注意で囚われの身になったあの日から、時折こういう事がある。
 眩暈。震え。動悸。理由のない焦燥。不安感。そして、混乱。
 それは時に奇行に及んだり、自傷に及んでいたりする。本当に、迷惑だと自分でも思う。

「リオ……ごめんなさい。また、迷惑をかけて……」

 あの日、自分の命を救ってくれた男。今でも私のことを助け続けてくれる目の前の男に、頭を下げる。
 どうして、この男は私を助けてくれるのだろう。迷惑ばかりかけて、私は何も返せていないのに。どうして私は、いつもこうなんだろう。どうして。

「ストップ。思い詰めると、また辛くなる」

 抱き寄せられて、はっとする。

「ご、ごめんなさい」
「気にするな。サシャのせいじゃない。全部、俺が……すまない……」

 絞り出すような謝罪の声。きつく。きつく、抱き締めてくる腕。リオは、ことあるごとに自分が悪いのだと言ってくる。危機を救ってくれた恩人である彼が、何故そんなにも自分を責めるのだろうか。だけど、深い。苦々しいまでの懺悔の念の前に、私はその意味を問いただすことができないでいる。

「リオ。大丈夫。私は、大丈夫だから」

 だからせめて。私は優しくリオの身体を抱き締め返した。

 

「彼女には悪いことをしたわね」

 寝台に二人並んで潜り込むことしばし。ようやく気持ちが落ち着いてきた私は、そう口にした。
 廊下で倒れた私をここまで運んでくれたのがバルガで、運び込まれた時室内に彼女がいたことをうっすらと思い出したからである。彼女。ウリルという名で、今日から私達の仲間に入るということを説明されたのはほんの数時間前の話だ。さぞかし驚いただろう。そして、結果的にこの部屋から追い出してしまったことが申し訳ない。

「まあ、あいつなら大丈夫だろう。バルガにこの辺りの案内を頼んでいたみたいだし、今頃はきっと自由にやっているよ。バルガも本望みたいだしな」

 リオは涼しい顔で含み笑い。

「あの人は、どんな人なの?どんな話をしていたの?」
「気になる?もしかして、妬いているのか?」

 何気ない問いに返ってきた返事に、私はリオのアッシュブロンドの髪を引っ張り抗議する。

「そんなんじゃないわ」
「痛い、痛い。悪い。ついからかってしまった。逆に聞くが、お前から見てウリルはどう映った?」
「え」

 思わぬ問いに、しばらく考えてから素直に思っていたことを口にする。

「すごく綺麗な人だと思ったわ。ちょっと近寄りがたい位に。あと……少しリオに似ている。どこがって聞かれると、わからないのだけれど」
「そうか」

 特に否定も、肯定もせず呟く。そして、何気ない明日の予定を伝えるような気軽さで、先を続けた。

「もしこの先、俺に何かあったらあいつに後を頼もうと思っているんだ」

 一瞬。何か聞き違いをしたのかと思った。
 それは、そんな軽い調子で口にする内容じゃない。
 それに。

「何かって、縁起でもない」
「もしもの話だよ。こういう事をしている以上、いつ何があってもおかしくないからね」

 そんなこと知っている。リオも。シュンも。この盗賊団が何をしているのか位、私だって知っている。私自身、いつまでも平穏無事に過ごせるとは思っていない。だけど。今のリオの言葉には問題がもうひとつあって。

「シュンには……みんなには、話すの?」

 私のただ一人の肉親。弟のシュンは、この盗賊団の創設メンバーといっていいだろう。誰よりも良く働き、一目置かれている。頭であるリオに、一番近い存在であることは誰の目から見ても明らかだ。本人は何も言わないが、大事の際に引き継ぐ覚悟はしているだろう。それを知っていて、リオは新入りの女に後を託すと言ったのである。

「今はまだその時じゃないから、二人だけの秘密だ。少しずつみんなの信頼を得て、それから。ね」

 リオはそう言って悪戯っぽく笑う。

「シュンにとっても、その方がいいはずだ」
「そう……ね」

 そう。シュンのことは私が一番良く知っている。ずっと独りで戦い続けていた彼に、頭という地位は重すぎるはずなのだ。

「納得してもらえれば良いのだけれど」
「納得できないようなら、それまでの男ということさ。ウリルを見て、色々なことを感じてくれればいいんだがな」

 シュンにはなくて、ウリルという女にはある何か。それを、リオは感じ取っているのだ。そしてそれを、シュンが吸収していくことを期待している。決してシュンのことをないがしろにしている訳でなく、むしろその伸びしろに期待していることがわかった。

「大丈夫よ。私の弟だもの」

 だから私は微笑んでそう締めくくる。
 そんな私の頭を、リオの手のひらがそっとなぞる。

「そうだね。ありがとう、サシャ。今日は色々あって疲れただろう。まだ寝るには早い時間だが、今日はこのまま眠るといいよ。それとも……」

 リオの言葉はそこで途切れた。もう、この後は言葉を交わす必要なんてない。私は、ただ黙ってリオの唇を塞いだ。

 

 このまま。時が過ぎ去って欲しい。願望。
 だけど、確かな予感があった。
 いつか。そんなに遠くない未来。きっと、私の。私を含めた周囲の状況は、大きく変わっていくのだろう。と……