ウリルサイド1.勧誘

 降り注ぐ木漏れ日の元。それは祈るように佇んでいた。
 鮮やかな真紅のワンピース。同色のフード付きケープからこぼれる、煌めく亜麻色の髪。
 通りなれた森で、そこはまるで別世界だった。
 現実から切り離された光景に、俺は言葉を。思考を失っていた。

「お頭、置いていかないでくださいよ~」

 不意に飛び込んでくる声に、我に返る。
 俺の部下に当たる男で、名をバルガという。元々この辺りを縄張りとしていた野盗の頭目をしていただけあって、筋骨隆々で戦闘能力も高い男だ。しかし、見た目通りの荒くれ者は、若干思慮に欠ける部分がある。
 森に響き渡る、遠慮のない大きな声。慌てて手振りで黙るように伝えると、その口は閉ざされたものの、堂々とした歩き方のまま俺の横までやってきた。草木が擦れる音が立つが、本人は全く気にしていない。確かに、今更こそこそした所ですでに手遅れではあるのだが。

 俺達の存在が気付かれた。

 そう思い、俺は赤い人物に再び視線を向けた。自然と、手に汗が滲む。
 しかし。
 そいつは、動いていなかった。
 バルガの上げた声に。音に。気が付かなかったとは思えない。だけど、そいつは全く気にも留めていない風で。ただそこに佇んでいた。
 気にする程のことと思われていないのか。何か、思惑があるのか。

 どちらにしろ、まずは確認するべきことがあった。

「あれが、お前達を襲撃した奴か?」

 茂み越しに見えるそいつから視線を外さず、低く潜めた声で隣にいるバルガに質問を向ける。
 返事は返ってこない。
 だが、僅かな動揺の気配から肯定の意を汲み取る。

「なるほど。おしゃべりなお前達がそこまでだんまりを決め込む理由がわかったような気がするよ」

 何者かの襲撃を受けて仲間達が壊滅した。
 ぼろぼろの状態のバルガが泣きながら俺の部屋に駆け込んできたのは、つい先程の話である。幸いにも死者は出なかったものの、大半の者はかなりの重傷であった。しかし、誰にやられたのかと問えば、皆、一様に口をつぐむ。埒が明かないと判断した俺は、バルガだけを伴って襲撃者を探しに森へ出たという訳だ。

「襲撃されたと言っていたが、最初に手を出したのはお前達の方だろう?バルガ」

 俺の言葉に、「うっ」という引きつった声が返ってくる。図星らしい。
 目の前で佇み続けている赤い人物は、見るからに女だ。それも、一目で分かる程に良いところの育ちの。
 元々野盗であり、今でも盗賊団を名乗っている彼らにとっては絶好のカモだと思ったのだろう。だが、あっさりと返り討ちにあった。見るからにほっそりとした、とても戦闘の心得があるようには見えない女に。

 バルガ達の性格を考えると、確かに言いにくい事実だろう。
 彼ら盗賊団の頭である俺としては、道行く旅人から金品を巻き上げる行為自体を責めるつもりはない。見た目に騙されて警戒を怠ったのはバルガ達の落ち度ではあるが、さすがにそこまでは期待していない。
 そんなことより。
 バルガをはじめとする盗賊団の面々は、どいつもそれなりの腕自慢である。人数も揃っていた。それを、為すすべもなく完封した目の前の女は、一体どんな人物なのだろうか。
 好奇心に勝てなくなった俺は、自然と立ち上がっていた。

「お、お頭。どうするおつもりで」

 突然の俺の行動に驚いたらしいバルガが、中腰で慌てふためく。

「まずは対話からが基本だ。バルガはそこで待っていてくれ」

 そう伝えて、前へ進み出る。
 俺の姿は完全に相手の前に晒された。気配を殺すことも止めたから、こちらが近付いて来ていることが判らない筈はない。しかし、それでもそいつは明後日の方向を向いたまま動かなかった。こちらの姿を認識しながら、あえて無視を決め込んでいる。俺にはそれが分かった。
 相手がそうくるなら、こっちは。

「ちょっと失礼させてもらう」

 声をかけてから、女の正面側の木陰に腰を下ろす。
 お互いの表情を、はっきりと捉えることができる位置関係。そこで初めて、俺はその人物の顔立ちを。表情をはっきりと見た。
 思わず、「ほう」とため息が漏れてしまう。
 細いながらもしっかりした眉。通った鼻筋。瞳は深い海のような青。その人物は、はっとするほどに整った顔立ちであった。だが、その表情からは何の感情も読み取れない。こちらの視線に全く関心がないと言わんがばかりに、ただただ彫像のように佇んでいた。

「なるほど。ただの迷い子ではないようだ」

 口にするのは素直な感想。そして、続ける言葉は重要。

「最近、山賊が襲われているという話を聞くが、犯人はお前か?」
「えっ、そうなのか?」

 驚きを含んだ声が、離れた茂みから上がる。
 いつもながら、バルガはこういうところが馬鹿正直だ。まあ、その驚きも無理はないかもしれない。現状、この辺りを縄張りとする賊は我々だけだ。そして賊同士の関係というものは、対立以外考えられないのが普通である。離れた土地の山賊の情報が入ってくるということは、なかなかに考えにくいものであろう。
 それは、今まで沈黙を保っていたそいつにとっても同じだったらしい。端正な眉が、僅かながらぴくりと動く。

「そちらも。ただの山賊ではないな」

 低く抑えられた、ぶっきらぼうな男言葉。
 華やかな容姿とあまりにも似つかわしくない言葉。それが、今まで沈黙を守っていたそいつの言葉であることを認識するのに、一刻の間があった。

「こっちとしては、ただの盗賊団のつもりだけどね」

 少なくとも、言葉が通じる相手であることに対する安堵。意外な言葉に対する動揺。それらを相手に悟られぬよう、精一杯の笑顔を見せて話を続ける。

「ところで、うちの仲間が何者かに襲われたのだが、何か心当たりはないか?」

 返答は、なかった。
 ただ、そいつの右手が動いた。
 まずい!
 それは、直感だった。俺は、反射的に身を伏せていた。頭上を、物凄い勢いで何かが走る。衝撃。

「うあっ」

 間の抜けた悲鳴。
 後ろで待機していたバルガが吹き飛ばされたようだ。
 衝撃が止んだのを確認してから、俺は上体を起こした。

「おいおいおい。突然攻撃してくるなんて礼儀知らずなお嬢さんだ」

 おどけた調子で声を上げる。それはただのはったり。俺に、余裕なんてなかった。
 目の前の人物が魔道士であることは、バルガ達の怪我の様子や当人の立ち振る舞いから予想していた。しかし、その威力は予想以上であり、何より予備動作が殆どなかった。俺の知る限り、魔法を使うにはそれなりの予備動作があり、そこに隙があるものだ。恐らくこいつは、魔力、技術共に常識はずれの強さということだ。
 俺の上げた声に対しても、そいつからの反応はない。無表情で。ぞっとするような冷たい眼差しで俺を見つめている。
 俺は負けじと、そいつを注視した。その表情。右手の動き。気配に気を配る。

 間は、そんなに長くはなかった。

 僅かな気配の変化を感じ取った瞬間。俺は横に思いっきり飛んだ。
 直後、強い眩しさと共に衝撃が耳元を掠める。

「くっ」

 衝撃は想定内のものであったが、光の眩しさは予想外であった。衝撃の感じから先程と違う魔法ではないと思う。伏せていて気が付かなかったのだ。咄嗟のこととはいえ、そこまで気が回らなかった自分に腹が立つ。だが、過ぎたことに対する後悔よりも今どうするかの方が大事だ。光に妬かれた視界はうすぼんやりとしたままだが、双方の位置関係は把握している。予定を変える必要はないと判断し、俺は思い描いた方向へ更に飛んだ。飛びながら腰の短剣を引き抜き、空いている左手で見当を付けていた場所を思いっきり握り締めた。

「な……!」

 驚愕の短い悲鳴が、俺の耳元で上がる。自分の目論見が成功したことを確信した俺は、そのまま身体を捻り、そいつを押し倒した。衝撃とともに、柔らかいものの上に倒れ込む。

「下手に動かない方がいいぞ。こっちは誰かさんのおかげでよく見えない訳だ。怪我じゃ済まないかもしれない」

 左手はそいつの手首を掴んだまま、右手に握り締めた短剣をほとんど勘だけで首筋と思われる場所に当てて凄む。
 意外なことに。そいつからは反論も、抵抗もなかった。

 やがて。
 視力が回復した俺の目に飛び込んできたのは、深い青。海よりも深く、空よりも青いその瞳は、何も映していなかった。憎しみも、怒りも、悲しみも宿していなかった。押し倒されたことに対して呆然としている。という訳でもないだろう。それは……

「殺さないのか?」

 そいつは場違いな程、澄んだ、通る声で言った。

「お前がその剣で私の喉をひと突きすれば、全て終わるだろう?」

 誇示するように自らの喉を突きだしてみせる。首筋に赤い線が一筋。どうやら短剣を当てる際に目測を誤っていたらしい。

「お前……」

 俺は理解した。
 そいつは、何の目的もなかったのだ。
 何物にも執着しない。何も望まない。
 そいつは、最初から生きる気なんてなかった。
 圧倒的な力を持ちながら、自分自身の存在を認めることを否定したのだ。

 そんなこと、俺は許せない。

 だから、俺は握り締めていた短剣を鞘に収めた。

「お前は、殺さない」

 絞り出すように、声を出す。自分が、怒りに似た感情を抱いていることに気が付く。何故?何に対して?渦巻く感情に自問しながら、そいつを半ば強引に立たせる。俺のその行動に、多少驚いているのだろうか。少なくとも、今は魔道士の青い瞳は俺の姿を捉えていた。

「私を、見逃すというのか?」
「そうだな……そういうことになるかな」

 お互いに見つめ合う形になってはいるが、すでに相手が逃亡を図るには充分な位置関係ではある。バルガ達から奪われた物を取り返すことが目的だったはずだが、その時の俺はそんなことすっかり忘れていて。ただ、一言。

「俺の仲間にならないか」

 目の前の魔道士から、目立ったリアクションは感じられなかった。感情を表に出さないだけで、内心は困惑しているのだろうか。俺の言葉に裏があるのではないかと警戒しているのだろうか。
 我ながら意味不明なことを言っていると思いながらも、たたみかけるように言葉を続ける。

「どうせ、行くところのない身なのだろう?悪いようにはしない。来てくれないだろうか」

 まっすぐに、その深い青の瞳を見つめる。
 何故だろう。ここで引く訳にはいかない。そう思った。
 そのまま、どの位の時が流れたのか。実際は、そんなに長い時間ではなかっただろうが、俺にとっては永劫のように感じられた静寂。それが、ぽつりと、静かに破られる。

「好きにすればいい」

 相変わらず感情を感じさせない声で、そいつは呟いた。

「敗者が勝者に従うのは普通のことだ。殺すなり連れて行くなり、好きにすればいい。このままこうしていても、何も変わらない」

 それは、まるで自分自身に言い聞かせているような言葉。
 いったい、こいつは心にどんな傷を負っているのだろうか。俺としては、俄然興味が出てきた。そして、あるひとつの確信があった。こいつは間違いなく、俺達に必要な人物になるだろう。と。

「そういえば紹介が遅れたな。俺の名はリオだ。あんたは?」
「名前……」

 初めて、そいつに動揺らしき表情が浮かんだ。僅かな沈黙。後に、短く一言。

「ウリル」

 そう答えた。
 恐らくは、偽名。だけど、俺にそれを咎める理由はない。ただ。

「ウリルか、よろしくな。ところで」

 そいつの耳元に唇を寄せる。低く下げた声で。囁くように。ずっと気になっていたことを、口にする。

「性別と身分を偽るつもりなら、その言葉使いをどうにかした方がいいぞ」
「っ!」

 はっきりと。息を呑む。それは、俺の予想が当たっていたということで。
 まあ、今はそれだけわかれば充分だ。あとは、おいおい理解していけば良いだろう。彼自身のことを。そう考えながら、俺はウリルと名乗ったそいつに背を向ける。そこに、声がかけられた。

「そう……ね。わかったわ。リオ。よろしくね」

 先程と変わらぬ声で、百八十度変わった軽やかな口調。
 とんでもない奴を仲間にしたなという思いと、これから楽しくなりそうだという思いで、俺の胸は満たされていた。

 余談。
 あの後。一人でアジトに帰ってきたバルガに散々泣き付かれた。すまん。すっかり存在を忘れていた。