仕事を片付けてアジトに戻ってきた俺を迎えたのは、どことなく浮ついた空気だった。
一応なりとも、俺はこの盗賊団の創設メンバーの一人である。しかし、出張が多く留守がちな身。元々人付き合いが苦手なこともあって、仲間達とは馴染めていない自覚くらいある。何かあったのか。聞こうにも聞けない状態で。俺は部屋の端の席に座り、本を開くふりをしながら彼らの様子をうかがった。
騒ぎの中心にいるのは、バルガという男。元々は、この辺りを縄張りとしていた野盗達の中心人物だった。盗賊団創立後に入ってきた者達はその野盗達がほとんどであり、バルガは今でも面子の中心にいることが多い。
そのバルガが、今までにないほど高揚した様子で騒ぎ立てている。声だけは大きいのだが、元々要点を押さえて話すのが苦手らしく聞き耳を立てたところで事情は全くわからなかった。
聞き耳を立てれば立てる程、その音量と荒々しい口調に不快な気分になる。うんざりと顔をしかめていると、柔らかな声で呼ばれる俺の名前。
「シュン。戻っていたのね。おかえりなさい」
顔を向けなくたって、俺には声の主が誰だかわかる。振り向きざま、呼び返す。俺にとって一番親しい人物の名を。
「ただいま。サシャ」
俺の姉に当たるその人物は、そのまま俺の向かいの席に腰掛ける。台所に立っていたらしく、長い薄茶色の髪は後ろで緩くまとめられ、エプロン姿であった。
「それにしても、随分と騒がしいな。何かあったのか?」
さりげなく、気になっていた問いを口にする。対して、返ってきた答えは意外なものであった。
「リオが新しい仲間を連れてきたの」
リオというのは、我々の頭の名だ。俺達にとっては盗賊団結成前からの知り合いで、恩人。でもある。
確かに、リオは何度か行く当てのない人間を仲間にと連れてくることがある。残っている者もいれば、新しい行き先を見つけて出て行った者もいる。それ自体はさして珍しいことでもない。しかし。
「それだけであいつらがあんなに浮かれるとは思えないんだが……どんな奴なんだ?」
更なる問いかけに返ってきたのは、シンプルだけど、直接的ではない答え。
「今リオの部屋にいるはずだから会ってきたら?どうせ報告に行くつもりだったのでしょう」
なんだろう。説明しにくいことなのだろうか。しかし、サシャの様子からは、どちらかというと好意的なものを感じられる。確かに一段落着いたらリオの部屋へ行く予定ではあったし、言うことももっともだ。直接会ってみるのが、一番確実ではあるだろう。
「まあ、そうだな。ちょっと行ってくる」
俺達のアジトは、岩山の中にある天然の洞窟を利用している。しかし、リオが上手く改装しており、扉が設けられている部屋も多い。アジト再奥にある頭の部屋ももちろん扉が設置されており、しっかりと閉ざされている。
「シュンです。いらっしゃいますか?」
扉を叩き、名乗る。
聞き耳を立てるまでもなく、扉の向こう側に、確かに頭であるリオとは別の気配もする。
「シュンか。入っていいよ」
穏やかなリオの声を受けて、俺は扉を開いた。
広すぎない部屋。洞窟でありながら小窓が設けられ、窓際に黄色い花の活けられた花瓶が飾られている。俺にとっては通い慣れた。見慣れた頭の部屋。しかし、頭のリオの姿はいつも腰掛けている執務机ではなく、部屋の中央にしつらえられた応接セットのソファーにあった。室内に踏み込んだ俺の姿を認めて、リオが微笑む。
「丁度良かった。紹介したかったんだ」
その言葉に、こちらに背を向けてソファーに腰掛けていたそいつが振り向いた。
「え……」
思わず。言葉を失っていた。
窓から差し込む夕陽に照らされて。肩にかかる亜麻色の髪が煌めく。光に縁取られた輪郭は細く、目鼻立ちは繊細かつくっきりと整っていた。細く、きりっとした眉。深い青色の瞳。そいつは、絶世の美人といっていいレベルの、女だった。
「彼はシュン。うちの古参で、対外的な仕事をしてもらっていることが多い。さっき紹介したサシャの弟でもあるな」
リオが、自分のことを目の前の女に紹介している言葉を、俺は半ば呆然と聞いていた。
「シュン。彼女は今日から我々の仲間になるウリルだ。色々と教えてやって欲しい」
次いで、目の前の女を俺に紹介されているようだが、俺の耳にはほとんど入っていなかった。混乱する頭を、整理しきれない。
「ん?どうした?ぼーっとして。ああ、さてはこいつが美人だから見とれているんだな」
「そんなわけあるかっ!」
にやりと笑うリオの言葉の意味もきちんと理解できぬまま、思わず怒鳴り返す。
出し抜けに。
「シュン。よろしくね」
柔らかに微笑みかけられて、俺の胸は知らず高鳴った。
「あ、ああ。まあ、よろしく」
いや。だがしかし。俺の抱いている感情はけっしてそんな類のものじゃない。けっしてだ。
「それで、早速なんだが」
俺の動揺を知ってか知らずか。リオの次の言葉は、俺を更に動揺させる衝撃的な言葉だった。
「次の出張の時にこいつを連れて行ってやってくれ」
「は?」
思わず。今度は素っ頓狂な声が出てしまった。
回らない頭をフルに動員させて、必死に言葉の意味を考える。だけど、その意味も、意図も、俺には理解できなかった。
「うちの仕事を見せてやる必要があるからな。心配しなくてもある程度のことは話してあるし、それまでに必要最低限のことは仕込んでおく」
あまりにもあっさりと、ごく当たり前のようにリオは言葉を続ける。
しかし。
バルガ達には、俺達が盗賊団として行動する本当の理由を教えていない。リオが今まで直接連れてきた者にも。だ。
それを。それを。
「新入りかつ女であるこいつに、何を見せる必要があるんだ……?」
まとまらないながらも出てきた疑問は、自然に口をついて出た。
つい出してしまった自問自答。それを、リオは、ウリルという女はどう解釈したのだろうか。
女は、優雅にソファーに腰掛けたまま何も語らず。
リオは、にやりとした表情を浮かべ、言った。
「そんなに心配なら、試してみればいい」
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
自分から数歩離れた位置に向かい合って立つ女を前に、俺は自問せずにはいられなかった。
アジトの近く。盗賊団の面々が訓練するのに使用している場所に、俺達は立っていた。それぞれの右手には武器に見立てた木の枝。周囲にはこれから何が始まるのかと興味津々な盗賊団の面々が集まっていた。
気が付くと、俺が目の前にいる女の実力を試す。という話になっていたのだ。
「俺の合図でお互い動いていい。遠慮する必要はない」
場違いな程、のんびりしたリオの声。
「はい。はじめ」
かけ声は、どこか遠いところで聞こえたように感じられた。そのせいか、俺の動きは明らかに遅れた。
「あ……」
顔の横を掠める軌道に、我に返る。とっさに反撃しようと動いた瞬間。
俺の手に握っていた木の枝は空高く跳ね上がっていた。
「勝負あったみたいだな」
のんびりした調子を、全く崩さずに微笑むリオ。
「ま……待て、今のは、ちょっと油断しただけだ」
思わず。俺は叫んでいた。
リオは苦笑する。
「ちょっとした油断が命取りになるのを、一番知っているのはシュンだと思うが……。まあ、本気になれていなかったのは確かみたいだな。ということで、もう一回やってみようか」
今度こそ、負けない。
身構え。集中し。リオの合図を待つ。
「はい、もう一回。はじめ」
今度は合図と同時に体を動かすことができた。瞬発力には自信がある。これなら……いける!
そう思った瞬間。
かーん。
軽い音。
軽くなる、俺の右手。
何が起こったのか、全く理解できなかった。
ただ、俺の手から木の枝が消えていて。木の枝をゆるく構えた女が、目の前に立っていた。
一瞬の静寂の後、歓声が沸き上がった。
「おおー、すげぇ!」
「お前。今の見えたかった?俺全然見えなかったぞ」
「何者なんだあの女」
そんな声が聞こえる。
何だ、今のは。俺は……俺は負けたのか?そんな馬鹿な。
「く……っそ。もう一回!もう一回だっ!」
後ろに落ちていた木の枝を素早く拾う。
俺は半ばやけくそ気味に、女に飛びかかった。
「おっ。おい!」
慌てたリオの声が聞こえたような気がしたが、聞いていられるか。
だが。
次の瞬間。俺の身体はみっともなく地面に這いつくばっていた。跳ね上げられた木の枝が、横の地面に突き刺さる。
「くそぉ!」
もう一回だ!
その後、幾度となく立ち向かったが、結果が変わることはなかった。
「まったく。シュンったら諦めが悪いんだから」
俺の傷の具合を診ながら、サシャが呆れたように声をかけてくる。
俺は、言葉を返す気にはなれなかった。結果的に、むすっとした表情のまま黙り込むことになる。サシャが、独り言のように言葉を続ける。
「それにしても、リオも良く剣技で手合わせさせようと思ったわね。彼女が剣を使っているところなんて、見たことないでしょうに」
「……?どういうことだ」
何か。聞き捨てならないことを聞いたような気がして、思わず問い返していた。
「あの人、帯剣していなかったでしょう?魔道士だそうよ」
「は」
何かの聞き間違いだろうか。いや、そんなはずは。だが、言われてみれば、あの女は剣士には見えない。
「俺は、魔道士に、負けた……のか?」
区切り、区切り。恐る恐る言葉を吐き出す。
一気に、自分の自信が打ち砕かれたような気がした。
呆然とする俺を、サシャがふわりと抱き締めてきた。
「心配しなくても、シュンは強いわ。彼女が上手だっただけよ」
彼女なりの慰めなのはわかっている。だけど、今の俺には屈辱以外のなにものでもなかった。
「一人にしてくれ」
つい、邪険に腕を振りほどく。
意外にも、サシャはあっさりと身を引いた。
「わかったわ。ゆっくり休んで。あまり思い詰めないでね」
それだけ。言い残して部屋を出て行った。
それは、繊細な姉が少なからず傷付いた証拠だった。いつもの俺だったら、それに気がつけた。
だけど。
部屋にひとり。布団を抱え込みうずくまる俺に、そんなことを気にしている余裕はなくて。
遠くから、笑い声が聞こえる。
耳障りだった。馬鹿にされているような気分だった。
目を閉じても、脳裏にあの女の姿が浮かぶ。
喜ぶでもなく。呆れるでもなく。見下す訳でもなく。最後までただただ無表情のまま、突っ込む俺の相手をし続けていた。
何を考えているのか。
胸が苦しくて。苦しくて、布団を握り締める。
沸き上がってくるこの想いは。悔しいのか。それとも。
考えたって、気持ちの整理なんてつかなくて。
俺はしばらく。そうしてうずくまり続けていた……