柊夢幻サイド2.a close good friend

 変な奴だと思った。
 人との会話の仕方を知らない奴だった。
 常識というものを知らない奴だった。
 何を考えているのか、全然わからなかった。
 この辺りでは珍しい髪と瞳の色も相まって、別世界の人間のようだった。
 ほとんど記憶にない叔父に連れられてやってきたのは、そんな奴だった。

「同じ年らしい。色々と頼む」

 そんな事を言われたような記憶がある。
 冗談じゃない。同じ年だからというだけで頼まないで欲しい。こんな面倒な奴を押し付けないで欲しい。どう接すればいいのかまるでわからない。こいつとは、一生分かり合える気がしない。
 そんなことを思った。

 

 あれから五年。
 俺は、ある種の感慨すら持ってその男の横を歩いている。
 男の名は柊夢幻。俺の、一番の親友だ。

「いよいよだな。おめでとう……と言うべきなのか」

 すっかり夜も更けた裏通り。俺は、隣を歩く友人にそんな風に声をかけた。

「ああ。やっと、踏み出せる」

 返す友人。夢幻の言葉には、強い決意が込められていた。
 明日。この夜が明ければ、夢幻は大陸警備機構の冒険者として旅立つ。
 事務から諜報まで幅広い仕事がある大陸警備機構であるが、その中でも際立ってやりたがる人間がいないきつい仕事だ。全てを自分の身ひとつでこなさねばならないし、命懸けの過酷なものであるから。
 しかし夢幻は、最初からその仕事を希望していた。
 そしてその理由を、俺は聞いている。

「見つかるといいな」
「見つけるさ。必ず」

 俺の言葉に、力強く頷く夢幻。
 ある日、突然姿を消した幼なじみの少女。夢幻はずっと、その少女を探しているらしい。大陸警備機構に入ったのも、少女を探す旅に出るための力が必要だったからだ。
 この広い世界で、見つかる保証なんてない。もうすでに、この世にはいないのではないか。普通に考えれば雲を掴むような話だ。俺も、最初にその話を聞いたときはそう思った。
 しかし夢幻は、確信を持って少女は存在すると断言している。
 その根拠はわからない。ただ、確実に言えることがひとつだけある。夢幻にとって、少女の存在こそが生きる糧なのだ。だから、俺にはそれを笑い飛ばすことなんて出来ない。
 実際、それだけの信念があったからこそ夢幻はここまでこれた。こことは全く違う環境で生まれ育った夢幻が大陸警備機構に入ろうというのは、並大抵の覚悟ではなかったはずで。
 文字の読み書きすらできなかった異国人がどれだけ過酷な思いをしてきたかは、夢幻がこの国に来た時からの付き合いである俺にだって全ては知らない。
 だけど、その苦悩と葛藤の片鱗を、俺は知っている。

 ふと。そこまで考えてある大事なことを思い出す。

「明日……俺はお前の代わりにあそこに回されるのか……」

 夕方、早々と仕事を終えた俺は、夢幻の部署を訪ねた。そこで、夢幻の上官からあまりにも唐突にその話を振られたのだ。つまり、明日から旅立つ夢幻の代わりに仕事を手伝ってもらう。と。
 知っている。自分が配属された所は、夢幻の部署と協力関係にあることを。新しく自分の上司になった男が、先日まで夢幻とその上官の直接の上司であったことを。つまり、こういうことになる可能性があったこと位は知っていた。
 だが、今の自分の上司からそのような話を聞いた覚えはない。

「今でも信じられないんだが……本気かなぁ。俺、初耳なんだが」

 何度目かの俺の呟きに対して、夢幻は明確に答えてくれる。

「二人とも、いつもそんな感じだ」
「まじかよぉ」

 そして俺は、本日何度目かの悲鳴を上げる。
 夢幻の今の上官は仕事に対して冗談を言わない。夢幻の前の上官。つまり俺の今の上官は急に仕事を切り出してくる。夢幻からの評価は概ねそんな話だ。だから、俺が今日までその話を知らなかったことは別段不思議ではないらしい。明日出勤した俺にその話がされるのは間違いないようだ。
 先が思いやられる。本当に。
 気が重いのは、別にそれだけではない。

「お前、あの上官殿と二人きりの時はどんな話をしてるんだ?」
「どうしたんだ突然」

 本気で俺の質問の意図がわからないのか、夢幻は不思議そうな返事を返してくる。
 夢幻の上官であるシャイア・フィンディル警視は、女性である。それも、肩書きにしてはかなり若く、俺達ともそんなに歳の差がある訳ではない。そんな相手と執務室で二人きり。どんな会話をすればいいのか、思い悩むのは当然だろう。もちろん、彼女と夢幻が普段どんな会話をしているのかもちょっとだけ気になるが。

「もしかしてお前……」
「ないっ。それだけは絶対にない!」

 夢幻の勘ぐるような呟きを、俺は全力で両手を振って否定する。

「確かに彼女は美人だと思うが、正直あれと付き合う気にはならない。あくまで仕事上だな……」

 自分が女好きであることは否定しないが、さすがに日頃の行いをちょっと悔やむ。

「ははっ。確かにお前も随分としごかれてたからな」

 勘ぐる言葉自体が冗談だったのか。夢幻が思わず笑いをこぼす。

「お前こそ、よくあれに耐えれるよな」

 先日まで、俺は夢幻に付き合って冒険者になるための研修を受けていた。その時の教官が彼女だったのだが、とにかく容赦なく厳しかった。
 何度も弱音を吐いても一切受け入れられず、俺にとっては地獄の半年であった。
 しかし、夢幻に対しては更に厳しかった。実地訓練中、俺に与えられた荷物が水と非常食だったのに対して夢幻の荷物の中身が全部石だったのを見た時には、いじめかと本気で疑ったものだ。
 ところが夢幻は、少しだけ嫌な表情を見せたものの「まあ、これがあいつのやり方だからな」とあっさり受け入れてしまったのである。
 その言葉には、俺には想像もつかないような信頼が確かにあって。二人は大陸警備機構に入った時からの仕事上の相方だから、単にそういうものだと思っているのかもしれない。しかし、俺の勘はそれだけではないと訴えている。
 恐らく二人は、それ以前に知り合っている。俺の知らないところで、俺の知らない関係を築いていた。そんな風に思えるのだ。

「心配しなくても、職務中言葉を交わすことはほとんどない」

 考え込む俺の様子を汲んでくれたのか、夢幻が努めて明るくそんなことを言う。そして、それに。と付け加える。

「あの人は確かに厳しいけど、人を見る目は確かだ。信用していい」

 その表情は。口調は、どことなく照れたような印象で。否が応でも二人の関係を勘ぐってしまう。
 しかし、その後に真顔で続けられたのは、恐ろしい一言だった。

「というか俺の残務処理だろ。あんなもの、死ぬ気でやれば半日で終わるぞ」
「お前と一緒にするなよぉ!」

 俺の絶叫が、虚しく夜空に響き渡った。

 

 長い道のりでも、会話しながら歩くとあっという間で。
 俺達は見慣れた建物の前に到着した。古びた宿屋。といった趣のお世辞にも立派とは言えないこの建物が、夢幻が住んでいる寮だ。
 知り合いが切り盛りしている関係で俺も一年ほどここでお世話になったが、すぐに近くの別のアパートに引っ越した。古くて部屋も狭いため、暮らしにくかったからだ。
 夢幻はほとんど寝にしか帰っていないから不自由ないと言うが、俺からしてみれば信じられない。今時水回りが共用とか、有り得ない。

「寄っていくか?」

 どことなく名残惜しい気持ちは一緒なのか、夢幻がそんなことを口にする。

「いや、まっすぐ帰るさ。明日のこともあるし、レイリィさんにつかまったら長くなりそうだしな」
「確かに」

 俺が口にしたこの寮の主の名前に、夢幻も笑いながら頷く。

「じゃあ、ここでしばしの別れだな。ロキには、色々と迷惑かけた」
「止めてくれ。俺は何もしていない」

 最初の頃は、疎んじていた。

「それに、それじゃまるで今生の別れみたいじゃないか」

 今でもその距離は遠いのかもしれない。

「そうか。それじゃあ」

 それでも、俺達は分かり合えた。
 だから、別れの挨拶は確かな再会の意味を込めて。
 どちらともなく。自然と同時に言葉が出る。

「またな!」