夢幻1 第三章 盗賊団 三

 ガンッ!ガンッ!

 断続的に殴りつけられる音。その度に扉がたわみ、部屋が衝撃に揺れる。
 打撃音に混じって聞こえるのは、うなり声。息づかい。特有の、嫌な気配。間違いようもない。魔物のものだ。
 何故、巧妙に隠されているはずのこのアジトが魔物に襲われているのか。何故、今まで異変に気が付かなかったのか。疑問や後悔が頭の中を渦巻くが、今は考え込んでいる場合ではない。

「どうする?」

 夢幻は、短く問いかける。
 この部屋がアジトの中で一番奥だと考えると、内部の状況は最悪であるとしか考えられない。盗賊団の頭として、この魔道士はどう動くだろうか。
 ウリルから返ってきた答えは、驚くほど冷静なものだった。

「魔法で鍵をかけてあるから、簡単には破られないわ。悪いのだけれど、サシャを起こしてきてくれないかしら」
「あ、ああ。わかった」

 当事者とは思えないほど、落ち着いた様子。しかし、その穏やかな調子とは裏腹に言葉の後半部分には有無を言わさない迫力があった。夢幻は戸惑いながらもその迫力に押され、首を縦に振っていた。
 すぐに追い立てられるように寝室へ誘導され、何故か扉まで閉められてしまう。

 ずいぶんと強引だな。

 文句のひとつも言ってやりたい気分ではあるが、一度首を縦に振ってしまった以上、先にやるべきことをしなければならない。
 灯りの点っていない寝室は、暗闇に閉ざされている。闇に目を慣らしてから、部屋を確認すると、中央に大きなベッドがあるだけで、他に何もないことがわかる。

「サシャ。緊急事態だ」

 とりあえず声をかけてみるが、案の定反応はない。ただただ、細い寝息が聞こえる。今日の出来事で心身共に疲れ切っているのだろう。無理もない。しかし、今は非常時だ。遠慮している場合ではない。

「おい、起きろ」

 ベッドヘッドに手をかけると、うっすらとオレンジ色の灯りが点った。どうやら、照明効果のある魔力が付与されていたらしい。その灯りに、ベッドの上が照らし出される。シーツに広がる、長い髪。サシャは、こちらに背を向けて眠っているようだ。寝顔を見なくて済んだことに安堵し、夢幻はその身体をゆすってみる。

「ん……?」

 軽い身じろぎ。漏れる、小さな声。

「疲れているところ悪いが、起きてくれ」

 夢幻の呼びかけに反応するかのように、サシャがころりと寝返りをうつ。うっすらと開かれた翡翠色の瞳が、夢幻の姿を映す。

 やっと目覚めてくれた。

 夢幻はそう思い、急いで言葉を続ける。

「魔物の襲撃を受けてる。アジトから脱出しないとならないが、動ける……か……?」

 言葉は、そこで凍り付いた。
 サシャが、無造作に夢幻に抱き付いていた。
 女性特有のほのかな香り。寝起きの高めの体温。そういったものが伝わってくる。そして、滑り落ちた掛け布団からサシャの肢体が露になる。

「……!」

 夢幻は、完全に思考停止に陥っていた。
 サシャが身にまとっているのは薄い夜着一枚で。細い身体が完全に透けていて、身体を隠すという意味で全く役に立っていない。薄明りに照らされた身体は妖しく。艶やかで。煽情的で。
 いけないとわかっていながら、目をそらすことができない。指先すらぴくりとも動かず、声も出ない。
 サシャは寝ぼけているだけなのだろう。だからこそ、夢幻は対応に困りただ固まるしかなかった。
 しかし、幸いにもその状況はそう長くは続かなかった。

 ドンッ!

 突如、轟音。強い振動が、部屋を揺らす。

「何だ!?」

 我に返り、頭を上げる。
 それは夢幻だけではなかった。サシャが、慌てふためいた様子で夢幻から身を離す。

「……すいません」

 布団にくるまり、か細い声をあげる。

「や、やっと目が覚めたか。どうやら魔物の襲撃を受けているらしい。動ける準備をしておいてくれ。お、俺はちょっと様子を見てくる」

 やっとも思いで絞り出した声は、少しうわずっていた。サシャの様子は、恥ずかしさよりも申し訳ないといった雰囲気で。それがかえって夢幻を慌てさせる。
 しかし、いつまでも動揺している場合ではない。今の衝撃は、あまりにも近すぎる。隣の部屋で何かあったことは間違いない。そこにいるウリルが気になる。
 夢幻は無理やり気持ちを切り替え、隣の部屋へ戻った。

「何があったんだ……?」

 ウリルが待つ部屋に戻り、その様子を見た瞬間、夢幻の動揺する気持ちは吹き飛んでいた。
 廊下につながる扉。その隙間から、もくもくと漏れ上がってくる真っ黒い煙。真剣な面持ちで扉をにらみ付けるウリルの姿。どう見ても、尋常じゃない。
 敵の攻撃があったのだろうか。しかし、ウリルの様子はあまりにも落ち着き払っている。そして、先程まであれほど執拗に扉を殴りつけられる音が響いていたというのに、嘘のように沈黙している。ついでにいえば、扉の向こうに生物の気配を感じない。
 まさかと思い、問いを重ねる。

「何かしたのか?」

 ウリルは、夢幻の問いには答えず。扉を見つめたまま、別の問いを短く返してきた。

「サシャは?」
「……今、出る用意をしている」

 夢幻は、憮然と答えるしかなかった。
 ウリルは、夢幻の問いに答えるつもりはないらしい。自分の目で確かめるしかないと思った夢幻は、うっすらと煙のもれる扉を慎重に開いた。
 意外なほど。軽い音を立ててあっさりと扉が開く。
 そして。視界に飛び込んできた光景に、夢幻は思わず素っ頓狂な声を上げていた。

「なんだこりゃ」

 恐らく、ここは廊下なのだろう。だが、壁部分であったと思われる岩肌は大きくえぐられ、それだけにとどまらず赤々と燃えている。そして地面には、完全に炭化した黒い塊がいくつか転がっていた。
 充満する焦げ臭いにおいに顔をしかめ、夢幻はすぐに扉を閉めた。

「原型をとどめていないじゃないか。お前、何をしたんだ?」

 あまりにも常軌を逸した光景に、呆れた声を上げる。

「何って、魔物がいたから処分しただけよ」

 意外にも、ウリルからさらりと返事が返ってきた。
 確かに、魔法を使えば炎で魔物を焼き払うのも不可能ではないのかもしれない。だが、ここまでの威力が出せるものなのだろうか。問い詰めたい気分になったが、そこに着替えを終えたサシャがやってきたため夢幻は口を閉ざさざるを得なかった。

「何が起こっているの?」

 サシャは、不安そうな表情でウリルに声をかける。
 多少、疲れた印象はぬぐえない。それでも、きっちりと着替えを済ませており、足取りもしっかりしている。その様子は、先ほどの出来事を微塵も感じさせない。それがかえってあの情景を思い起こされて、夢幻は一瞬だけどきりとする。
 ウリルは、幸いにもそんな夢幻の様子には気付かない。ただ、サシャに短く言葉を伝える。

「ここから脱出するわよ。サシャ、歩けるわね?」

 その言葉は、サシャにとっては唐突で。
 だけど、一切の疑問も、問答もなくただ黙ってうなずく。
 それが信頼関係というものなのであろうか。とにかくそうして、一同はアジト内部を突破することとなった。

 ウリルが扉を開き、一同は炭化した魔物を踏まないように気を付けながら廊下に出る。
 辺りは静まり返っている。盗賊たちの姿も、魔物の姿も見当たらない。
 しかし……

「まだいるな」

 階下に、確かに複数の魔物の気配を感じる。これほどの数の魔物に、一体今まで何故気が付かなかったのだろうか。

「慎重に行くわよ。しんがりをお願いね」

 ウリルは眉一つ動かさず淡々とした物言いで、さっさと先頭を歩き始めてしまった。仕方なく、夢幻も前にサシャを歩かせ後に続く。戦えないサシャを守るのも大事な役割だ。
 廊下の角を曲がったところで、ウリルの右手から唐突に閃光がほとばしった。
 一瞬、夢幻はそれが魔法による光であることを認識できなかった。通常、魔道士は魔法を使う時に予備動作が発生する。しかしウリルにはそれがまるでなかった。常識では考えられない瞬間発動である。そして、廊下の角をのぞき込んで先ほどの自分の認識が間違えていなかったことを理解した。

「お前、加減って言葉を知ってるか?」

 答えは返ってこないとわかっていながらも、聞かずにはいられない。魔物であったと思われるその物体は、やはり完全に炭化していた。

 そうして、進むことしばし。

 夢幻たちは何度か魔物らしきものに遭遇し、その度にウリルが炎の魔法の一撃で仕留めていった。その手際はあまりにも鮮やかで。魔物たちは一瞬で炭化していくため、夢幻でも魔物の姿をまともに視認することができなかった。
 まるで何かを隠そうとするかのようなウリルの様子に気が付かなかった訳ではない。嫌な予感がする。いや、夢幻の中でそれはほとんど確信に変わっていた。それでいて、認めたくない。受け入れたくない。相反する思いが、渦巻いていた。

 どのくらい、進んだだろうか。
 夢幻の耳が、甲高い音を捉えた。
 それはウリルも同じこと。はっとなり、すぐに駆けだす。前方、左手側に開きっぱなしになった扉。音は、その中から聞こえてくる。金属同士がぶつかり合う。戦いの音。

 誤算だったのは何だったのか。
 中の様子をうかがうために、ウリルの動きが一旦止まったこと。味方と思われる人物がいるため、魔法をすぐに放てなかったこと。サシャの動きが予想以上に早かったこと。恐らく、その全てが重なり合って。
 夢幻が制する間もなかった。

「シュン!」

 サシャが、悲鳴じみた声を上げる。
 そう。サシャは、部屋の中を見てしまった。
 複数の魔物を相手に、防戦一方になっている自らの弟の姿を。そして、魔物の姿を。
 魔物は三体。それぞれが角を生やしたり、全身がぼこぼこと泡立っていたりと、様々な異形のものであった。ただ、共通していたのは二足歩行であること。破れているものの、衣服らしきものを身に着けていること。思い思いの武器を手にしていること。
 夢幻ですら、それが「何」であったのかすぐに理解できた。

「あ……」

 サシャの身体から力が抜ける。慌てて夢幻が支える。
 サシャも、気が付いてしまったのだ。この魔物たちが、変わり果てたここの盗賊団の面々であることに。
 ウリルが部屋の中に飛び込む。至近距離から魔法を叩き込み、全ての魔物を順番に倒していく。

「この程度で苦戦しているようじゃ、まだまだね」
「ウリル……」

 構えていたショートソードを下ろし、シュンは目の前に立つウリルの姿を呆然と見つめる。
 未だ肩で息をしており、彼が限界ぎりぎりの戦いを強いられていたことを感じさせる。いつから戦っていたのか。確かなことはわからないが、相当な長時間であったはずだ。ウリルはまだまだというが、シュンがかなり頑張ったことは確かだろう。

「こいつら……急に苦しみだして、姿が変わって襲いかかってきやがった……一体、何が起こっていやがるんだ?」
「それは、私たちも探っているところよ。キースはどこにいるか知らない?」

 その返しは、シュンにとって予想外だったのだろう。怪訝な表情で言葉を返す。

「ん?あいつなら事件が起こる少し前に部屋を出て行ったな……まさか、あいつを疑っているのか?」
「状況からして可能性が高いじゃない。自分が連れてきた人間だから擁護したい気持ちは分からなくもないけれど、ちゃんと的確な判断をしないと、いつまでも彼の意志は引き継げないわよ」
「そんなこと……」

 この場にいた人間は皆、話に集中していた。
 だから、気が付くのが遅れた。
 ウリルが倒したと思われていた魔物のうちの一体が、起き上がりその巨大な斧を振り上げたことに。

「ウリルっ……!」

 いち早く気が付いたサシャが悲鳴を上げる。
 夢幻は、とっさに部屋に飛び込んで魔物に斬りかかる。だが、サシャを守るために戸口で待機していたため、距離が離れすぎている。間に合わない……!

「バルガ……」

 振り向いたウリルは、呟いていた。その魔物には、左手がなかった。そして、見慣れた両手斧を片手で振り上げている。姿は完全に異形のものに変わってしまっていたが、間違いようもなかった。
 熱心にウリルのことを好きだと言ってくれていた男。もちろんウリルにその気はなかったのでやんわりと断っていたが、それでもなおウリルを熱心に慕っていた。
 たとえ魔法を瞬間発動できたとしても、この距離では間に合わない。
 諦めなのか。受け入れる覚悟ができていたのか。ウリルの表情が、穏やかなものに変わる。

 ガッ……!

 鈍い音が、部屋に響いた。
 そして一瞬遅れて、夢幻の長剣が魔物の胴をなぎ払う。
 その一部始終を、ウリルが驚きの表情で見つめていた。
 そう。ウリルは生きていた。その身体に、血しぶきが飛ぶ。そして、肩口をばっさりと切り裂かれたシュンがウリルの前に倒れた。

「シュン!シュン……!」

 我に返ったサシャが、狂ったように叫びながらシュンの元へ駆け寄る。

「……っ。ぅ……」

 微かなうめき声。まだ息がある。しかし、彼がもう助かる見込みのない状態であるということは、その場にいた誰もが理解していた。

「……リル……」

 焦点の合わない目で、必死に手を伸ばす。
 駆け寄ったサシャも、夢幻も、ウリルに視線を向ける。シュンが誰を求めているのかは、誰の目にも明らかで。でも、当のウリルは戸惑い、立ち尽くしたままで。

「ウリル」

 サシャが名前を呼ぶ。泣き出しそうな表情で。だけど、毅然とした声で。それで、恐る恐る。呆然としたままのウリルがシュンの宙をさまよう手を取る。

「サシャを……たのむ……」

 シュンは絞り出すように言うと、ウリルの手に自らのショートソードを握らせる。
 それから何かを呟くように唇が動いたが、夢幻には彼が何を言おうとしたのかはわからなかった。

 それきり。シュンの身体に力が戻ることはなかった。