夢幻1 第三章 盗賊団 二

 サシャが規則正しい寝息を立てたのを確認してからその身体に布団をかけ直すと、ウリルは静かに寝室を出た。
 ずっと開けっ放しになっていた寝室の扉を、大きな音が立たないようにそっと閉める。扉がきちんと閉まったことを確認してから、ウリルは窓辺に向かって声をかけた。

「待たせてごめんなさい。よく来たわね」

 落ち着き払った様子は、明らかに来訪を予測していたものだ。
 そして、その予測を裏切ることなく、窓辺に現れる人影。

「待つつもりはなかったが、お楽しみ中みたいだったからな」

 嫌味たっぷりの言葉には、不機嫌さがありありとにじみ出ている。

「回りくどい説明や言い訳は必要ない。さっさと身分証を返してもらおうか」

 窓から踏み込んでくるのは、大柄なシルエット。差し込む月光に煌めく長い銀色の髪。夢幻であった。
 苛立ちを隠そうともしない夢幻とは対照的に、ウリルはにこやかな微笑みを絶やすことなく言葉を返す。

「よく来た。というより、よくここまで来れたわね。さすが……ということかしら。ま、こんなところで立ち話もどうかと思うし、座って。お茶くらい出すわよ」
「誰のせいだと思っているんだ。こっちだって、好きで夜のロッククライミングを敢行してきた訳じゃない」

 そう。夢幻がわざわざこんな時間にこんな窓の外からここにやってきたのは、全てウリルの指示によるものである。

 あの後。

 ウリルの姿が変わり、盗賊団のアジトが混乱に陥った際、夢幻は混乱に乗じてこっそりとアジトを抜け出した。
 シュンの持っていた指輪のことなど、多少気になることはあるが、ここから先は当事者たちの問題。財布を返してもらった今、もうここに用はない。むしろ、なるべく関わりたくない。
 そう、思っていた。
 しかし、アジトから離れて返してもらった財布の中身を確認した夢幻は、自分の考えが甘かったことを知った。
 財布の中に入っていたのは、紙切れが一枚だけだった。
 お金が入っていないことは、宿屋の女将さんから受け取ったお金の量から予想していた。だが、入っているはずの身分証も入っていない。そして、紙切れにはアジト外壁から見たこの部屋の位置を簡単に記した地図と、「日が落ちてから来ること」という簡潔な一文が書いてあった。
 かくして、夢幻は暗闇の中を必死で崖登りするはめになった。という訳である。

「それに関してはお疲れ様。でもこれで、だいたい貴方の実力がわかったわ」

 席を勧めたものの、夢幻が窓際から動かないので結局ウリルも立ったまま話を続ける。灯り用に浮かせた魔法の光球が、二人の顔をぼんやりと浮かび上がらせている。

「貴方の頑張りに免じて、これは返してあげてもいいけれど……」

 言いながら、腰帯の間からウリルが取り出したのは一枚のカード。それを見た夢幻は、すぐさまウリルに飛びかかった。
 今までのことを考えると、抵抗されるかかわされると思っていた夢幻の突撃は、意外なほどあっさりとウリルの懐に入った。
 つまり、夢幻の力加減は完全に誤った状態であり。
 次の瞬間、夢幻はウリルを押し倒す格好でソファに倒れ込んでいた。
 女性らしい柔らかな感触と、やや高めの体温が伝わってくる。しかし。

「!」

 左手が何か柔らかいものに触れた瞬間、その正体に気が付く。
 夢幻は慌てて全力で窓際までバックダッシュし、その感触を忘れようと左手をぶんぶんと振る。
 遅れて、ウリルがやや緩慢な動きで上体を起こした。

「失礼ね。人の大事な部分を握っておいてその反応?」
「いや……さすがにその見た目でそれは結構衝撃大きいぞ?」

 完璧な女性の姿をした彼の、恐らくそれは唯一男性として残っている部分。

「仕方ないじゃない。ここばっかりは、どうしようもないのよ」

 それは、つまり。

「あれが、本来の姿という訳か」

 ウリルは、間違いなく男として生を受けた。そういうことだ。

「魔法を使って姿かたちを変えているのよ。もっとも、私としては今のこの姿こそが本来の姿のつもりだけどね」

 ソファに座り直すウリルの所作は、盗賊団の頭という肩書きにしては品がよく、女性以上に女性らしい。
 そうして、女性らしさをさらに際立たせる整った顔立ちに微笑みを浮かべて、ウリルは言った。

「そうそう、そのカード、フェイクだから」
「なにっ!?」

 慌てて右手に握りしめた身分証と思っていた物を確認する。そこには、こちらに向けて微笑みかける亜麻色の髪の女の姿があった。

「私のブロマイドよ。何故かうちの盗賊団の間で出回っていてね。ここまで来たご褒美にあげるわ。カメラ目線のやつなんてレアなのよ?やったね」
「う……嬉しくねえっ。いいから、早く、身分証を返せええええええ!」

 夢幻の叫びは、むなしく夜空に吸い込まれていった。

 

「で。用件はなんだ?」

 ソファに腰かけて、夢幻が尋ねる。
 身分証については、騒がれると迷惑だからという理由で夢幻に返却された。

「わざわざこんなところまで、こんなまどろっこしい方法で呼び出したからにはあるんだろう?仲間内にも知られたくないような用件が」
「話が早くて助かるわ。単刀直入に言うと、キースを暗殺したいの」
「は?」

 微笑みを浮かべたまま告げられる、あまりにも突拍子もない内容に、夢幻は目を丸くする。

「俺の正体を知っていてそれを頼むのか」

 夢幻が所属する大陸警備機構は、治安維持のための組織だ。いかに外国とはいえ、事情があったとしても、人を殺める行為は禁止されている。

「心配ないわ。手自体は私が下すから」
「そういう問題じゃ……」
「本当は、キースのたくらみを暴いてここから追い出せればそれで良かったのだけれど、思いのほか状況が変わってしまってね。そうするしかないと判断したのよ」
「どういうことだ?」

 ウリルの話はずいぶんと飛躍していて。そこに秘められた考えは推察することしかできない。

「キースが、私たちにとって良くないことをたくらんでいる。そう、確信が持てたのよ。シュンが使った指輪。あれは、キースがシュンに渡した物よ」
「解呪の指輪か」
「知っているの?」
「そういう文献を読んだことがある程度だがな。あれを発動させることによって、お前にかかっていた魔法は解けた。だが、あの時お前が使った魔法はきちんと発動していただろう。つまり、あれは魔封じの効果はない。そこまでわかれば、他に考えられる可能性は低い」

 正確にいえば、夢幻が読んだのは文献ではなく資料である。機構で回収命令が出ているアイテムリストの中にそういった物があったのだ。とはいえ、しっかりと指輪を確認するような余裕はなかったため、確証があるわけではない。キースが何故指輪を持っていたのかも謎のままである。

「お前の身に何が起こったのかは大体わかったが、俺はキースのことはほとんど何も知らない。何故そこまであいつを疑うのか、それも含めて少し教えてくれないか」

 夢幻の頼みに、ウリルは少し長くなる。と前置きした上で話し始めた。

「キースがここに来たのは、一カ月ほど前よ」
「意外と最近なんだな」
「仕事で外に出ていたシュンが、ある日突然連れてきたの。うちは行き場をなくした子供を保護することはあるのだけれど、盗賊団としてのメンバーは身内が多くて、特にシュンは外部の人間を信用しないところがあったの。だから、みんな驚いていたわ」
「その割には、馴染んでいたように見えたが」

 キースの態度は、あの集団からは浮いていた。しかし、あいつはそういう奴だから仕方ない。そういった雰囲気があったのも確かである。同時に、信頼されているようにも感じた。たった一カ月で、そこまでの立場を築けるものだろうか。

「そうね。シュンが彼を全面的に信頼していたということもあるけれど、キースは圧倒的に強かったの。バルガが喧嘩をふっかけて返り討ちにあってからは、みんながキースを認めるのにそう時間はかからなかったわ」
「確かに、強かったな」

 夢幻の故郷では剣術が栄えていて、村一番の腕前といわれていた父から幼い頃から手ほどきを受けていた。剣の修業が嫌で仕方がなかった頃もあったが、おかげで今では大陸警備機構内ではトップクラスの強さといわれるまでになっている。その夢幻が、キースに対しては全く敵わなかったのだ。圧倒的という表現に間違いはない。

「ん?まてよ」

 夢幻はそこで、あることに思いつく。

「お前、わざと俺とキースのやつを戦わせたな」
「そうよ。だから試したって言ったじゃない」

 ウリルは、あっさりと肯定する。

「ちゃんと助けてあげたのだから、勘弁してよ。タイミング見計らうの、大変だったのよ」
「それはお前の都合だろう」

 がっくりとうなだれながらも、夢幻はウリルのやり手ぶりに驚かされるばかりであった。
 たったひとりで夢幻の実力を試す場をセッティングし、戦況をきちんと見極めた上でそれと悟られないように邪魔に入ったのである。その実力は底が知れない。警戒するべきはキースではなくこちらなのではないだろうか。

「キースは強いわ。だけど、私はみんなと違って強いだけでは信用できない……むしろ、強すぎるからこそ信用できない。何か目的があってうちに潜り込んだのだと思って、周辺の地理を覚えるために森の散策に行くって言うキースの後を付けたりもしたのだけれど、結局尻尾をつかむまでには至っていないの。そして、そうしているうちに、魔物事件が起こったわ」

 そこまで言ってから、一旦間を置いて発せられたウリルの仮説は、夢幻にとって予想外な内容であった。

「私は、この事件もキースが絡んでいると思っているの」
「まさか」

 ありえない。夢幻はそう思った。夢幻の予想する限り、この件は人間の力で起こせるようなものではない。

「それなら、貴方はどう思っているのかしら?」
「それは……まあ、わからないが……」

 しまった。完全に誘導されている。
 夢幻は、不自然に言葉を濁らせる。
 だけど、そんなものでウリルの目は誤魔化せない。

「貴方、ただの役人仕事じゃないわね」
「ただの役人仕事だ」

 懐疑に満ちたウリルの言葉に、夢幻は即答する。

「ふうん……まあいいわ。どちらにしても、片付けなきゃならない問題だしね」

 納得はできていないようであるが、ウリルはすぐに切り替えて明るく笑う。

「そうと決まったら作戦会議ね。まずはどうやってキースを誘い出すかだけれど……」
「ま、待て。お前、もしかしてついてくる気か?」

 嫌な予感を覚え、思わず立ち上がる夢幻。対称的に、ウリルは優雅に座ったまま、にこやかに微笑む。

「他に行く当てもないしね。それなりには役に立つ自信もあるわよ」
「そういう問題じゃなくだな……」
「いいのよ。そろそろここも、返さなきゃならないと思っていたしね」
「お前……」

 そこで、気が付いた。
 恐らくはウリルも、よそ者なのだろうということに。
 しかし。

「お前は、ここで必要とされてるだろう。性別とか、正体とか、そういったことに関係なくな」

 それは、盗賊団の面々を見て感じた本心であった。夢幻は、アジトから脱出した後、暗くなるまで様子をそれとなくうかがっていた。盗賊団の、頭に対する信頼は強く、正体がばれた際の驚きは大きかったものの、落ち着いてきてからは純粋に心配する者がほとんどであった。
 夢幻の言葉に対して、返事はなかった。
 そしてその理由は、返す言葉がないからではなかった。
 ウリルが、人差し指を立てて静かにするようにとジェスチャーだけを送ってきた。
 何故か。それはすぐにわかった。

 複数の足音が、この部屋に向かってくる。

 その音。その気配。人のものではない。
 そう、それは……

 ガンッ!

 扉が、乱暴に殴りつけられる音が部屋に響いた。