scene8 みらいへの約束

「失礼します」

 放課後。
 魔法の個人授業のために教室を訪れたわたしを待っていたのは、担任教師だけではなかった。

「学園長!それに……」

 学園長のうしろに立つ黒い姿に、わたしは言葉を詰まらせた。

「ひさしぶりだね。リマ」

 イデアル・リベリオー。わたしに魔力があると、見抜いた人。

「イデアルさん……学園にいらっしゃってたんですね」

 確かにユキネ先輩から聞いてはいたけれど、こうして目の前にいるのが信じられない。

「すっかり遅くなったけど、君の様子を見にね。大変な現場に出くわしてしまったけれど、おめでとう。君の魔力は、開花したみたいだね」
「えっと、それなんですけど、わたし、全然わからなくて」

 口ごもるわたしに、担任教師が口を開く。

「リマ・メルカートル。指輪を確認させてください」
「あ、はい」

 右手をだして、指輪を見せる。外すことはできないのでつけたままだ。
 三人の視線が、わたしの右手にそそがれる。

「どう思いますか」
「こんなことは、前例がないですね」
「予想通りですよ」

 にっこりとほほ笑む、イデアル。

「リマ。僕から説明させてもらうとね。君は突然この学園で一番、レベルの高い魔法使いになったんだよ。しかも、君は特定の属性を持たない」
「それって……どういうことなんですか?」

 言っていることの意味が理解できず、戸惑う。
 答えてくれたのは、学園長だった。

「魔導士はそれぞれ得意な魔法があって、その魔法に応じた属性を持っているのですよ。それを分かりやすく視覚化したものが、指輪の石。たとえば、アンジュ・ノーヴィリスの黄色は雷系、ルベル・ユースティティアの赤は炎系。あなたと同室のユキネ・ストゥディウムは氷系の水色の石がついています。ですが、あなたの石は無色透明」
「それは、わたしが魔法を使えないから。ではないでしょうか」

 得意な魔法がないから、色がない。納得できる説明である。

「そうですね」

 学園長は、ゆっくりとうなずいてから話を続ける。

「どちらかというと、あなたに属性が存在しないから魔法が発現できないのでしょう。ですが、あなたには確かに魔力がある。自分の指輪を見て、どう思いますか?」
「えっ、どう……って」

 いろいろありすぎて、考えたこともなかった。

「あなたの指輪は、レベル三十程度と推定されます。少なくとも、中等部一年の中で、一番レベルが高い」

 学園長の説明に、わたしは絶句した。何かの間違いではないだろうか。そう思う気持ちと同時に、確かに、自分の指におさまっている指輪の装飾があきらかにアンジュより細かいという事実にも気が付く。

「君は、あの瞬間。確かに魔法を使ったんだよ。それも、そうとう強い魔法をね」

 うれしそうに笑みを見せるイデアル。

「え、ええ?でも……」
「確かに、周りで見ていた者たちも、あなたが魔法を使ったようには見えなかったみたいですし、あなた自身に自覚がないのは当然なのかもしれないわね。まったく、こんなことは前例がないわ」

 ため息をつくように、担任教師がつぶやいた。

「まあまあ。なにも、この学園で前例がない指輪を持った人間はあなたが初めてという訳ではないのよ」

 穏やかに、学園長は言った。

「イデアル。指輪を見せてあげなさい」
「あまりそうやって持ち上げられるのは好きじゃないんですけどね」

 イデアルはそう返して、首元から何かを取り出した。ネックレスになっているそれは、ひとつの指輪だった。

「これ……」

 そこにはまっている石は、虹色だった。角度で、光の加減で、ちらちらと色が変わる。

「全ての属性を持つ石。もともと魔力の高い子だったけれど、今までこんなことはなかったから、学園に衝撃が走ったものよ」

 全属性の魔導士。そんな異名を、確かに昨日聞いた。
 次に学園長の口から出たのは、本当にびっくりする言葉だった。

「そんなわけで、前例のない魔導士は前例のない魔導士に見てもらおうかと思いましてね。この子も、あなたのことを気にしていたようですし」
「えっ。イデアルさんが、わたしの先生に……?」
「仕事もあるから、来られる時だけになるけれどね。まあ、学園長も働きかけてくれるみたいだし、これからもよろしくね」

 イデアルは、薄紅色の瞳を細めて、にっこりとほほ笑んだ。

 

 あかね色の空の下。
 わたしは、イデアルの横をならんで歩いていた。

 教室を出てから、わたしも、イデアルも、一言も口を開いていなかった。

 何か言わなければ。
 そう思いながらも、うまい言葉が見つからず。
 気が付いたときにはもう、学園の敷地の門のまで来ていた。よく考えたら、ここに来たのは入学式前日。この学園に入った日以来だ。
 もう一カ月なのか。まだ一カ月なのか。思えば、いろいろなことがあって、感慨深い。

「あの」

 そう、わたしが口を開くより早く。イデアルが切り出していた。

「僕のことを憎んでいないの?君は、普通に幸せに暮らしていたのに」
「憎むなんて……」

 考えたことも、なかった。
 確かに、イデアルがいなければ、わたしはここにはいなかっただろう。普通の女の子として、普通の学校に通って。そうして、家族の待つ家に帰っていたはずだ。
 それでも。

「わたしは、イデアルさんと会えて良かったと思っています。何のとりえもないわたしが、魔法使いになれるって聞いて、うれしかった。それは今でも、変わらないんです」

 イデアルの向かいに立って、その顔を正面に捉えて、わたしはほほ笑んだ。
 そう。今でも、どきどきしている。
 自分に、そんな力はなくても。この場所でどんな困難が立ちふさがっても。今、こうしているだけで不思議と頑張れる気持ちになれる。
 イデアルは、驚いたような表情で。次に、何か、決意に満ちた表情で。言った。

「必ず、君の力になる。そう、約束するよ」

 今度は、わたしが驚く番だった。
 夕陽に紅く照らされたイデアルはとてもきれいで。そんな人に、こんな言葉をかけてもらえるなんて。

「イデアルさん。わたし、頑張ります。次に会えた時、もっと成長できているように。イデアルさんの、期待に応えられるように」

 わたしの言葉に、イデアルは優しい笑顔でうなずく。
 そうして、イデアルはわたしに背を向け、門の外へ出た。

 イデアルの姿が見えなくなるまで、わたしはその背中を見つめつづけていた。