第四章 闇の石 二

 その男の姿を認めるや否や、夢幻は走り出していた。
 地面を蹴り、長剣を抜き。狭い通路の壁と、ほとんど影にしか見えない男の間のわずかな隙間に突っ込む。

 ガキイィィィン!

 金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
 弾き飛ばされる身体。それを見て、慌ててウリルがサシャを引き寄せかばう。
 ウリルたちのいる位置まで飛ばされた夢幻は、辛うじて受け身を取って地面に転がる。衝撃に、地面に敷き詰められた木の床材がいくつか跳ね上がった。

「せっかちな男だな。ちゃんと躾を受けているのか?」

 感情を感じない声で、言い放つ。
 そいつは、夢幻の前方に無造作に立っていた。だらりと下ろされた右手に、抜き身の長剣が握られている。あれで夢幻の攻撃を弾き飛ばしたのだろう。
 隙だらけに見えて。一切の隙がない。
 底知れぬ強さと謎を秘めて、そいつは夢幻たちの前に立ちふさがる。
 キース。
 それが、そいつが名乗り、皆が呼ぶ名。

「やはり簡単には抜かせてもらえないか」

 夢幻は立ち上がり、体勢を立て直しながら呟く。

「ちょっと、一人で行くつもりだったの?」

 背後から抗議の声がするが、あえて聞こえないふりをする。

「何があってもここから先は通さない。そういうことか?」

 夢幻の問いに対する答えなのか、無言のキースから強烈な殺気が放たれた。
 少しでも気を抜けば、おそらく命はない。手の震えを必死に隠して、長剣を構え直す。慎重に足を踏み出し、油断なく間合いを計りながら夢幻は再度問う。

「この騒ぎは、お前が仕組んだのか?お前は、一体何を企んでいる?」
「さあな」

 意外にも、キースから言葉が返ってきた。
 その表情に、笑みを浮かべて。不敵な、皮肉るような。人を小馬鹿にしたような見下した笑み。

「あれを壊すくらいだから仲間になれるかとも思ったが、しょせんはただの犬ということか。残念ながら、お前はここで終わりだ」

 続く、何か引っかかるような物言い。しかし、夢幻にその言葉の意味を考える猶予は与えられなかった。言い終わるや否や、キースが突っ込んできたから。夢幻は構えた長剣でその刃を受けるしかない。
 一切の余裕がなかった。
 キースの実力は、夢幻を超えている。先に手合わせをした時に、そんなことは嫌というほど理解している。ウリルの加勢は期待できない。ここまで見てきた感じ、ウリルの魔法は大味の破壊力自慢である。この狭い通路で切り結んでいる状態では、手を出すのは難しいだろう。
 重く、激しい攻撃に、夢幻の足は一歩、また一歩と下がっていく。明らかに手加減されていたあの時と違い、反撃に転じるような余裕はなかった。
 絶望的な状況。
 夢幻は、実力差からは不思議なほど冷静に攻撃を捌いていたが、やがて限界が訪れる。
 長期の戦いに体力を消耗し始めた夢幻に、僅かながら隙が生まれた。

 しまった!

 受けそこなった刃は夢幻の長剣を滑り、左腕に突き刺さる。
 貫かれる痛み。全身を揺さぶるような衝撃。たまらず、夢幻は転倒した。

「勝負あったようだな。どうする?命乞いでもしてみるか?」

 酷薄な笑みを浮かべ、夢幻を見下ろす碧い双眸。キースは、剣を握った右手をそのまま。ゆっくりと捻っていく。自然、夢幻の傷が抉られる。

「が……あああっ!」

 駆け抜ける激痛に悲鳴がこぼれる。
 利き腕を地面につなぎ留められているため、転がり回ることすらも叶わず。暗くなっていく視界。断続的に駆け抜けていく苦痛の衝撃。何も考えられない。抗うことも。諦めることすらも。

 どのくらいそうしていただろうか。
 それは、永劫に続くかと思うほど長くもあり、刹那ほどに短かったのかもしれない。
 不意に。
 激しい衝撃に身体が揺さぶられる。
 はっとなる。
 苦痛に耐え続けていた夢幻には、何が起こったかなんて全く分からなかった。それでもわかったことはただひとつ。一瞬だけ、キースの気がそれたということ。
 その一瞬を、夢幻は確かに感じ取った。
 無理やり受け入れ続けた激痛に、視界がほとんどきかない。周りの状況なんて一切わからない。だけど、それだけは瞬時に理解できた。何故なら、今一番敏感になっている部分が、一振りの長剣によってキースとつながっているのだから。
 無我夢中だった。右手を握り締め、力いっぱい突き出す。

「うおおおおおおおお!」

 叫び声は、自然と出た。
 確かな手ごたえとともに、左腕が軽くなる。今の衝撃で突き刺さっていた刃が抜けたらしい。同時に、僅かながら視界が戻る。数メートル先に、尻餅をついた格好で転がるキースのシルエット。
 自然と、身体が動く。
 全身のバネをきかせて跳ね起きる。あれだけの激痛にも関わらず、離すことなく握り締め続けていた長剣を構え直す。そしてまっすぐに、刃をキースの目前に突き付けた。腕からは鮮血がぼたぼたと零れ落ちるが、全く気にならない。

 俺の勝ちだ。

 そう思った。
 だが、キースの表情は不敵な笑みを浮かべたままで。
 その意図が読めない。
 困惑する夢幻。その腕が、強引に引かれた。

「何やってるのよ。行くわよ」

 突然の干渉。動揺する心情。疲労と、出血による消耗。それらが重なり合い、夢幻はその動きに抗うことはできなかった。引かれるまま、キースの横を通り抜ける。
 その時、ぽそりと呟くような声を、夢幻だけは聞いた。

「……女には気を付けた方がいいぞ」
「?」

 その真意がわからず、振り返る。
 しかしそこに、赤い軌跡を描く球が放たれる。派手な爆発音。洞窟の中で燃え上がる赤い炎。

 キースの姿は、炎の中に消えていった。