第四章 闇の石 三

 木々の間から差し込む朝日が眩しかった。
 すり抜けてゆくそよ風が、心地よかった。
 だが……

「助けてもらったことについては礼を言う。だが、何故殺した」

 夢幻は、苦々しい思いとともに言葉を吐き出した。
 ウリルは、夢幻が言っていることの意味がわからないとばかりに涼しい表情だ。

 夢幻がキースとの死闘を繰り広げている間、ウリルとサシャはアジト中の可燃物を片っ端からかき集めていた。自分たちでは夢幻とキースのハイレベルな戦いには介入できない。そう判断したウリルの提案らしい。かくして、ウリルの魔法によってアジト全体を揺るがすような大爆発を起こし、キースの気をそらすことに成功した。結果、夢幻は絶体絶命の窮地から見事に逆転勝利を収めることができた。
 その点は、確かに感謝できる。
 激痛を味わった身としては、助けに入るのが遅いと文句もつけたくなる部分もあるが、それもタイミングを見計らっていたと言えば納得できる。
 しかし。
 真意を問いただそうとした夢幻の意向を完全に無視し、容赦なくキースに炎の魔法を放ったのもまたウリルである。可燃物を集めたこともあって、アジトの入口は未だ赤い炎が燃え盛っている。魔法の直撃を受けたキースが生きているとは、とても思えない。
 そこまでする必要があったのだろうか。
 何故、キースは闇石を持ち込めたのだろうか。
 あれは、結局何なのか……
 やっと手に取ることができた糸口が、溶けていく氷のようにこぼれ落ちていく。

「貴方はあれでキースに勝ったつもりでいたの?あれで、負けを認めて素直に質問に答えてくれるように思えた?」

 ウリルはあくまで冷静に。淡々と。真実だけを口にする。
 それは正論。
 わかっている。
 最期まで不敵な笑みを浮かべていたキースが、夢幻の問いに答えるはずがない。むしろ、返り討ちにあって再び窮地に陥る可能性が高かった。
 だからといって、そう簡単に殺せるものなのだろうか。
 夢幻は、納得できなかった。
 それは、キースに対してもそうであるが、ここまでの間にウリルはほぼ全ての仲間を失ったのだ。そうであるにも関わらず、ウリルは一切の感情を面に出さない。むしろ、魔物化した魔物たちをそうと知りながら一切の容赦なく葬り去った。それ以外方法がなかったのは事実。ウリルのしたことは至極合理的であり、対処としては正しい。
 だけど。

 こいつは、何も思わないのだろうか。
 ためらいはないのだろうか。
 仲間たちに対して、情はなかったのだろうか。

 考えても、詮ないことだった。

「納得は、できない。ただ、今からどうにかできる話でもないしな。お前の目的は果たしただろうし、俺がここにいる必要ももうない。一緒にいる理由はないだろう。俺はここで失礼させてもらう。じゃあな」

 今回の仕事で、夢幻ができることはもうない。
 この二人も、夢幻がいなくたって近くの村まで行くことくらいはできるだろう。
 だから、夢幻は二人に背を向けた。
 ウリルから言葉はない。
 もう、会うこともないだろう。
 だが。

「まって」

 小さいけれど、毅然とした声。同時に、強く腕がつかまれる。

「あの。色々不満はあるかと思うけど、ここで別れるのは良くないと思います。ウリルも言いすぎよ」

 それは、サシャのものであったが、夢幻にそれを認識する余裕はなかった。腕をつかまれると同時に、激痛が全身を駆け抜けたからである。あまりもの痛みに、一瞬くらりと景色が暗転する。

「だ、大丈夫ですか?怪我、ひどいじゃない」

 夢幻の様子よりも、血でじっとりと湿った袖の感触にサシャの顔色が変わる。
 キースに散々抉られた傷口からは、今も出血が続いていて、赤いしずくが一滴。夢幻の手の甲を伝う。

「手当てしないと。そこ、座って」

 強引に腕を引かれる。

「いたっ!痛いから」

 思わず、情けない悲鳴が上がる。夢幻は痛みに強い方ではあるが、さすがに傷ついた腕を何度も引っ張られてはたまらない。
 その様子を見ていたウリル。

「この子。こう見えて押しが強いのよね。諦めて手当てされた方がいいわよ。気付いていないだろうけど、貴方、顔色かなり悪いわよ。私は邪魔だと思うから、離れておくわね」

 そう言って、さっさと二人に背を向けてどこかへ行ってしまった。

「お、おい!」

 呼び止めようとするが、一度腰かけてしまうと立ち上がろうという気にならない。どうやら本当に怪我が深刻らしい。
 そうして木陰に二人きり。夢幻は、サシャに手当てをしてもらうこととなった。

「少し痛いかもしれませんが、すぐに終わるので楽にしていてくださいね」

 笑顔でなかなか怖いことを言いながらサシャは、夢幻の袖をまくり上げる。血でぐっしょりと湿っているにも関わらず苦労なく袖がまくれて、酷い傷口ではなく、赤く染まったぼろぼろの包帯が露になる。

「こういう仕事をしていると、生傷が絶えなくてな」

 不審に思ったかと一言添えるが、サシャは気にすることなく包帯もさっさと取ってしまう。そこから現れた傷口に、さすがのサシャも息をのむ。執拗に抉られた傷口は剣で負ったものとは思えないほどに深く、いびつな形であった。そして、ふさぐものが完全になくなったことにより、鮮血があふれ出してくる。

「……っ」

 サシャは手早く自らの衣服を破り取り、躊躇うことなく夢幻の傷口に押し当てて止血を試みる。多少の動揺はあったようだが、方法は手慣れている。これなら安心していいだろう。夢幻はそう思った。

「はい。これでもう大丈夫です」

 サシャがそう言って微笑んだのは、手当てを開始してからかなりの時間が経ってからだ。
 夢幻の怪我の具合がかなり酷かったというのもあるのだが、ご丁寧に右腕の包帯まで取り替えてくれていたためである。闇石を破壊する際につけた怪我の応急処置が適当だったのがばれたらしい。

「悪いな。何から何までしてもらって。おかげでだいぶ楽になった」

 何度か腕を曲げ伸ばししてから、素直に礼の言葉を口にする。怪我の具合に応じた巻き方をしてくれたらしく左の方がややきつく感じられるが、不自由があるほどではない。なかなか上手いものである。

「いえ、こちらこそ色々とありがとうございました。あの。その、ウリルのこと、あまり責めないでください。あれでいつもウリルなりに私たちのこと、考えて動いてくれているので」
「あー、まあ、こっちも悪かった」

 サシャの言葉に、夢幻は自然とそんな言葉を返すことができた。
 不思議な女性である。物腰は柔らかだし、どこか頼りなさげな雰囲気である。訳ありで、精神状態は不安定らしい。だが、どこか芯の強さを感じる。彼女だけでも、助けられてよかった。夢幻はそう思った。

「ここに長くいるのも危険だろうし、そろそろ行くか。まずは、あいつを探さないといけないな。どこに行ったか、心当たりあるか?」

 声をかけ、立ち上がろうとする。
 しかし、サシャからの返事がない。

「サシャ?」

 いつの間にか、サシャは地面にうずくまっていた。地面についた両手が小刻みに震えている。
 苦しげな吐息が漏れた。

「サシャ!」

 尋常じゃない様子に、夢幻は慌ててその身体を抱え起こす。
 異常は、一目瞭然であった。
 綺麗だった翡翠の瞳が見開かれ、真っ赤に血走っている。全身がびくりと痙攣した瞬間、開かれた唇から鋭い牙が飛び出した。

「っ……。サシャ!何故だ。何故……」

 間違いようもない。サシャの身に、魔物化が起こっている。しかし、闇石は破壊したはずだ。瘴気の気配も……いや、僅かながら感じる……?だが、一体どこから?

「くそっ」

 手立てがない。
 こうしている間にも、サシャの身体は確実に異形のものへと変貌していく。押し殺したうめき声も、徐々に獣じみた形容しがたい響きをもっていく。
 混乱の最中、キースの言葉がよみがえる。

「……女には気を付けた方がいいぞ」

 それが、このことを示していたのか。実際のところはわからない。だけど、呪わずにはいられなかった。疑うしかなかった。あの男が、サシャに何かしたのだ。
 一度魔物化してしまった者を元に戻すことはできない。それは嫌というほど知っている。だけど、進行中の魔物化を止めることはできないのか?無力にもただ、見守ることしかできないのか?

「サシャ!?」

 不意に響く声に、夢幻は顔を上げる。
 ただ事じゃない状況に感づいて駆けつけたのだろう。軽く息が上がったウリルが立っていた。
 動揺と苛立ちが入り混じった表情の夢幻と目が合う。

「何があったの?」

 詰問の言葉を口にしながらも、視線はすぐに下へと向けられる。
 サシャの魔物化はゆっくりでありながらも確実に進行していた。異様に伸びた爪を夢幻の衣服に食い込ませ、嗚咽にも近い苦しそうなうなり声をあげて身を震わす。こうしている間にも、背中からいびつなダークグレーの羽のようなものが飛び出した。

「!」

 さすがのウリルも、常識を逸した様子に息をのむ。しかし、ウリルはそこで怖気づくような人間ではない。サシャの身体をつかみ、自分の方へと向ける。

「ウ……リル……」

 しわがれた、かすれた声で、サシャはゆっくりとその名を呟く。まだ、理性がわずかに残っているのだろう。自分の身に、何が起こっているのか理解できているのだろう。それは、どんなにつらいことか。

「サシャ。ごめんね」

 ウリルは、サシャの身体を抱き寄せ呟く。
 夢幻には、何が起こったのかをすぐに理解することができなかった。
 崩れ落ちるサシャの身体を、ウリルの手が受け止める。そして、仰向けに横たわらせる。そこで、夢幻の目にもそれが露になった。
 サシャの胸から、金色の柄が飛び出していた。細かな装飾が施されたその柄は、シュンが持っていて、ウリルが受け取ったショートソードのものだ。
 不思議なことに、魔物化は止まっていた。
 だけど。
 刃が刺さったままになっているため出血こそ少ないが、そこは確実に命を奪う部分だ。
 サシャの焦点の合わない瞳が、辛うじてウリルの姿を捉える。
 声こそ聞き取れなかったが、その唇は確かに呟いた。

 ありがとう。

 驚くほど穏やかな表情で。驚くほど澄んだ瞳で。
 それきり。
 サシャが再び、動くことはなかった。