第二章 魔道士 二

 早朝の森は、深い霧と静寂に包まれていた。

 しっとりと湿気を帯び、ぬかるんだ地面を踏みしめて。夢幻は森の奥へと向かっていた。
 天候と時間の条件があまりよくない割りに、道程は順調であった。警戒していた、魔物の襲撃もない。時間帯の問題なのか、それとも他に何か理由があるのか。昨日の今日であるだけに、不思議に思いながらも夢幻の足は止まることがない。

 しかし、足は止まらないまま、夢幻は思考を中断させた。

 何者かの視線を感じたからである。
 魔物でも、昨日の女でもない。複数の、人間の気配。そして、その視線に込められたものは明らかな殺意。
 その者たちが夢幻を包囲しようと動いているのは明確であったが、夢幻はあえて気が付かないふりをして歩き続けた。この遭遇は、偶然ではない。そう、感じたからである。
 かくして、夢幻の前にガラの悪い男たちが立ちふさがるまで、そう時間はかからなかった。

「こんなところに迷い子か。ここに足を踏み入れたのが運の尽きだったな。さあ、おとなしく金目のものを出してもらおうか」

 現れた男は三人。そのうち、一歩前に踏み出して声を上げたのは、真ん中にいる大男であった。
 身長こそ夢幻とそう変わらないものの、横幅が倍近くある。太っているというだけでなく、むき出しになった赤銅色の上半身は引き締まり、筋骨隆々としている。その筋肉が見掛け倒しではないということは、本来両手で持つはずのバトルアックスを片手で軽々とかつぎ上げていることから推測できる。逆側になる左手は、よく見ると手首から先がなかった。加えて、半分禿げ上がった白髪。顔を走る傷跡と、いかにも絵にかいたような山賊のビジュアルである。他の二人も、体格こそ違えども似たり寄ったり。

 ほぼ間違いなく、彼らは盗賊団と呼ばれる集団だ。

 周囲を取り囲む気配から、姿を現していない者が二十人程度いると推測される。過去に何度か相対したことがある盗賊団と比べると、小規模だ。
 このように、人があまり立ち入らない森や山の中などに盗賊団がアジトを構えることはさほど珍しいことではない。しかし、立地を考えるとこの辺りを通るカモも滅多に現れないだろう。正直、このようなところで活動して儲かるかといえば、そうは思えない。そして、この近くに唯一あったあの村でも、盗賊団の話は一切聞かなかった。こんなところで盗賊団に遭遇したことに、夢幻は内心驚いていた。

「残念ながら、金目のものはすでに奪われた後でな。追いかけているところなんだ。亜麻色の髪をした女なんだが、知らないか?」

 驚きはしたが、動揺している訳ではない。夢幻は、落ち着き払った口調でその問いを投げかけた。
 夢幻から盗みを働いた女に指定されてやってきた森。そこで待ち構えていた盗賊団。何らかのつながりがあるかもしれない。そう、考えてのことだ。

「……知らんな。金目のものがないならその武器なり服なりでも構わん。命が惜しかったら、ぐだぐだ言わずさっさと言うとおりにしろ!」

 大男から返ってきたのは、否定の言葉。
 しかし、その言葉の直前の微妙な間と、表情の変化。何より、急に語気が強まったことを、夢幻は見逃さない。
 取り巻きの二人にいたっては、完全に目が泳いでいる。これでは知っていると言っているようなものだ。

「そこの木の影にいる仲間たちといい、お前たちは隠し事が苦手なようだな。何か知っているなら、今のうちに正直に話してくれないか」

 夢幻の言葉に、今度は誰が見ても明らかに盗賊たちに。隠れている者たちも含めて、動揺が走った。
 大男はこれ以上は我慢できないらしく、かつぎ上げていたバトルアックスをぶんと振り回し、夢幻に向けて突き付けてきた。

「ほ、ほう。俺の仲間たちの存在に気付くとは、少しはできるやつみたいだな。だが、それならばすでに取り囲まれてるのもわかるだろう?お前はとっくに袋のねずみだ。我々の縄張りに入って、ただで済むと思うなよ。おめえら!やっちまうぞ!」

 大男の掛け声に応えて、木の影から次々と盗賊たちが姿を現す。その数は、大体夢幻の推測通り。皆、思い思いの武器を手に、にやにやとした品のない笑みを浮かべながら夢幻との間合いをじりじりと詰めてくる。
 期待はしていなかったが、その中に夢幻の探している女の姿はない。

 戦闘は、避けられなさそうだな。

 完全に取り囲まれ、戦う覚悟を決めながらも、夢幻は冷静であった。
 最初に気配を感じた時から、相手がそう強くはないことは分かっていた。この集団を率いている大男にしても、夢幻が後れをとるような相手ではないはずだ。
 極力傷つけずに捕まえて話を聞きたい。だから、あえて武器は抜かずに相手の出方を待った。
 しかし、盗賊たちが飛びかかってくることはなかった。

「バルガ。やめておけ」

 その声は、大男の後方からかけられた。
 バルガというのが、大男の名前なのだろう。大男は、振り上げたバトルアックスはそのままに、後ろを振り返った。
 そこに立っていたのは、ひょろりと痩せた男だった。
 ぼさぼさに伸ばされた金髪を無造作に後ろで束ね、垂れた長い前髪の間からのぞくのは、鋭い眼光をたたえた碧眼。

「キース、何故止める」

 バルガが、不満そうに声を上げる。
 しかし、夢幻の全身には緊張が走っていた。
 今まで、この男の気配は全く感じなかった。

 つまり……

 考えるより先に、とっさに剣を引き抜く。
 そして。

 キィン!

 唐突に、森に甲高い音が響き渡った。
 肉薄する金髪の男と夢幻。お互いの持っている剣が交差し、鍔迫り合いの格好になってぎちぎちと嫌な音を立てていた。
 何が起こったのか。
 この場にいた中で、それを即座に判断できた者は当事者たち以外に誰もいなかったであろう。

「やはり受けたか」

 盗賊団の面々が唖然と見守る中、キースと呼ばれていた金髪の男はつまらなさそうにぽつりと呟く。

「随分と過激な挨拶だな」

 そのままの体勢では分が悪いと判断した夢幻は、長剣の角度を変えて一旦受け流してから間合いを取る。平静を装って言葉を返したものの、背中から嫌な汗が流れていた。

 こいつ……強い……!

 三メートルほどの間合いを一気に詰めての、容赦のない抜き打ち。
 キースという男は、それを一瞬でやってのけたのである。辛うじて受け止めることができたものの、夢幻にはその太刀筋はほとんど見えていなかった。直前にキースが放った強い殺気に、本能的に反応できただけの話である。そして恐らく、殺気は意図的に放たれた。キースがその気になっていれば、今頃、夢幻の首は飛んでいただろう。
 その事実に夢幻は戦慄し、僅かに痺れの残る左手を気取られぬよう、そっと長剣の柄を握り直す。
 一方。キースは平然とした様子で夢幻と対峙したまま、盗賊団の面子に向けて呼びかけた。

「見ての通り。こいつは俺の今の攻撃を受け止めることができる程度には強いということだ。お前らが束になってかかったところで、かなわんだろう。わかったら、ここは俺に任せてくれないか」

 今の立ち回りを見せられて、この二人の戦闘能力が自分たちよりはるかに高いということを思い知ったのだろう。さすがに、キースの声に反論する者はいなかった。
 バルガも、バトルアックスを油断なく構えたまま後ろへと下がった。

 そうして。盗賊団の面々が遠巻きに見守る中、夢幻とキースは改めて間合いを取って向き合い、武器を構える。
 お互い、武器は一般的な長剣である。形もサイズも同じくらい。違うのは、右手に剣を構えるキースに対して、夢幻は左手に剣を構えていることくらいであろうか。

 少しのにらみ合いの末、先に動いたのは夢幻。

「たあああああっ!」

 気合の声を上げ、横殴りにキースに切りかかる。その攻撃はあっさりと避けられてしまうが、それくらい見越してある。夢幻はすぐに身体を反転させて、更に切り込んでいく。今度は剣で受け流され、その勢いのまま攻撃が返される。慌てて身をよじり、攻撃から逃れる。そして、再び剣を突き出す。
 刃と刃がぶつかり合う度、派手な音と火花が散った。
 素人目には、二人の動きはほとんど視認できないほどの速さである。盗賊たちには、両者は互角の戦いをしているように見えているであろう。
 しかし……

 遊ばれているな。

 実際に戦っている夢幻には、それが嫌というほど理解できた。
 夢幻は最初から全力で戦っている。キースを一目見た瞬間、そうしないとやられると判断したからである。
 勝負は一瞬でつくと思った。つまり、夢幻の最初の一撃が入らなければ負け。そのくらいの実力差を感じていた。
 しかし。
 これだけの間切り結んだ今でも、決着はついていない。
 夢幻が相手の強さを読み違った。そんな訳はない。

 つまり、手を抜かれているのだ。

 それでいて、そうとはわからないように夢幻の攻撃を全て限界まで引き付けてから、紙一重のところで避けている。そうした上で、夢幻がぎりぎりで避けられる程度の攻撃を返してくる。まったく、大した余裕だ。

 これほどの使い手が、何故こんな辺境の盗賊団にいるのだろうか。
 何故、一息に決着を付けずに、戦闘を続けているのだろうか。

 思ったのは、ほんの一瞬。しかし、その一瞬の集中力の途切れが、致命的な反応の遅れを生み出す。
 気が付くと、キースの刃が避けられない位置に迫っていた。
 慌てて動こうにも、間に合うはずもないのは、自分自身が一番よくわかっている。
 キースも、ここまできてわざと軌道を逸らす気はないようだ。冷たい無表情で、夢幻を見つめている。

 お前は、その程度か。

 そう、言われているように感じた。
 ならばせめて。相打ち覚悟で、一太刀くらい浴びせようか。そう腹を決めた夢幻は、相手をまっすぐに見つめ、剣を握る手に力を籠める。

 しかし、キースからの攻撃はなかった。

 代わりに、軽い舌打ち。それとともに、後ろへ飛び退く。
 次の瞬間。
 先ほどまでキースがいた場所。つまり、夢幻とキース。二人の丁度真ん中に、突如光が炸裂した。
 派手な見栄えとは裏腹に、殺傷能力はないようである。それでも、その衝撃に夢幻も少し後方へ飛ばされる。何とか転倒せずに済んだのは、キースの攻撃を受けるための体勢を整えていたからだろう。

「そこまでよ」

 舞い上がる土埃。炸裂した光の眩しさ。
 視界の利かない中、よく通る凛とした声が響き渡った。
 盗賊たちがざわめく中、ゆっくりと土埃が収まり、声の主が姿を現す。
 光は、そこから放たれたのであろう。まっすぐに突き出された白く、細い右手。対照的に、身にまとうは鮮やかに彩られた布地。肩にふわりとかかる、柔らかな髪は亜麻色。整った顔立ちには、何の表情も映していない。ただ、深い青色の瞳だけは、強い光をたたえてこちらを見つめていた。
 間違いようがない。夢幻が探していた女だ。

「貴様……探したぞ」

 キースの存在も忘れて、夢幻は女へ剣を向ける。
 しかし、女は全く動じる様子もなく毅然と言い放った。

「剣を収めてちょうだい。キース、貴方もよ」

 口調こそ静かであったが、有無を言わさない迫力があった。昨日とは、全然印象が違う。恐らく、これが本来の彼女の姿。夢幻は逡巡するが、キースの方はあっさりと剣を収めてしまった。

「これでいいんだろう?お頭」

 おどけた調子で、にやりと笑うキース。
 こうなっては、夢幻も渋々従うしかなかった。
 それにしても。
 キースがあっさりと剣を収めたことにも驚いたが、それ以上に夢幻は、キースの言葉に耳を疑っていた。

 お頭。

 それはつまり、彼女がこの盗賊団の首領だということを表している。さすがにそれは想定外だ。

「こいつは、お頭の客でしたか。それなら俺の出る幕ではなかったな。失礼する」

 キースはそう言って、一同に背を向けた。「客」という部分に揶揄する響きを感じられたが、女は気にした風もなくキースから視線を外し、夢幻の方へ向き直った。

「よく来たわね、ムゲン・ヒイラギさん」

 にっこりと、微笑む。元々の整った顔立ちも手伝って、それはとても魅力的に見える。実際、バルガを始めとした盗賊たちの何人かが完全に彼女に魅入っているのがわかる。しかし、夢幻は警戒を強め、女をにらみつけるように見つめる。女の、深い青の瞳は全く笑っていない。その微笑みには、明らかに裏がある。
 夢幻は、慎重に言葉を選んだ。

「柊夢幻だ。それと、こういう場合は自分から名乗るべきだと思うが?」

 共に行動した短い時間で、お互いの名前を名乗り合った記憶はない。しかし、女は夢幻の名前を呼んだ。それも、財布の中に入っていた身分証に記載されたとおりの名前で。出身地の文化が独特である夢幻の名前は、こちらの一般的な表記に合わせた記載がされているのである。
 つまり、女が夢幻の身分証を見たのは明らかで。
 夢幻の正体を知った上で、わざわざ手間のかかる方法を選んで夢幻を呼び出したということになる。

「変な名前ね。私はウリルよ」

 緊張する夢幻とは対照的に、女は柔らかな口調で簡潔に名乗った。

「生まれ持った名前なんだから、仕方ないだろう」

 変な名前とは、よく言われる。そのため、慣れてはいるが、ウリルと名乗ったこの女に言われると、妙に腹が立つ。とはいえ、こんなことでいちいち目くじらを立てていても話が進まないので、この件に関しては小声でつぶやく程度にとどめる。その代り、次に続ける言葉には、強く意志を込める。

「盗んでいった物を、返してもらおうか」

 ことの成り行きを見守っていた盗賊たちが、夢幻の迫力に怯む。一方でウリルは、全く動じた様子もなかった。

「貴方に、頼みがあるの。立ち話もなんだし、ちょっと来てもらえないかしら」

 まるで親しい隣人にお醤油を貸して欲しいと頼むかのような気楽な口調で、言葉をかけてくる。

「答えになってないな。俺は盗んだ物を返せと言ったはずだが」
「理解していないのは、貴方の方よ。まあ、強制するつもりはないけれど、物はアジトに置いてきちゃったし、どちらにしても来てもらわないとならないわね」

 ウリルは終始、不気味なほどにこやかな笑顔を絶やさない。
 残念ながら、夢幻に拒否権はないようだ。

「……わかった。話だけ、聞かせてもらおう」