第三章 盗賊団  一

「突然呼び出してすまないな」

 執務用の机から立ち上がって、そいつは申し訳なさそうに言った。

「別に、気にしなくていいわよ。そんなに忙しく過ごしているわけでもないし、私は、貴方の下についているわけだしね」

 知っている。
 申し訳なく思っているのは、呼び出したからではないこと。
 そう。今の私は知っている。
 そいつから、何を語られ、何を頼まれるかを。

「そうだな。今まで俺はお前を、下につけてきた」

 聞きたくない。
 言わないで。

「だけど、今からは俺とお前は同等として話を聞いてほしい」

 そいつの言葉を止められない。
 私には、止める術がない。

「お前に、この盗賊団を任せたい」
「何を言っているの。シュンとかバルガの方が適任ではなくて」
「シュンは有能だが、人をまとめるには向いていない。バルガは人をまとめるのは上手いが、この盗賊団をまとめあげるほどの器ではない」
「私は新参者よ?人をまとめるほどの能力なんてないわ」
「いや、お前は人の上に立つべき人間だ」

 あいつは、そう、きっぱりと言い切った。

「最初に会った時に思った。俺とお前はどこか似ている。だから、俺はお前を誘って、色々と教えた。自分でもわかっている、俺はもう長くはない。だから頼む」

 頼むなんて言いながら、私に拒否権なんてなかった。
 私はそんな立派な人間じゃないのに。
 そんな重荷、背負わせないで。
 なのに。
 ほとんど命令口調で、あいつは私に言った。

「俺の全てを、継げ」

 

 夜風に髪がなびく感覚に、ウリルは瞳を開いた。
 うっかり、窓辺でうたた寝をしていたらしい。
 あの場にいられなくなって、とっさに転送魔法で自分の部屋に戻って。すぐに魔法をかけなおしたため、今は元通り女の姿である。この姿を取るようになってからもう、四、五年になるだろうか。その間、一度たりともこの魔法を解いたことはなかった。今の自分にとっては、この姿こそが元の姿なのである。
 だが。
 冷たい夜風が心地よく感じられるほどの熱っぽさも、自身の身体を骨格ごと無理やりいじったことによる節々の痛みも、あの事が夢ではないことを嫌でも思い起こされる。

 ばれてしまった事実は、変えられない。

 ウリルは、窓の外から部屋の中へと視線を移す。
 月明かりの差し込む部屋には、執務用の机と椅子。そして、応接用のソファとローテーブルだけが置かれていた。花瓶や絵画といった装飾品はもちろん、生活に必要と思われる小物類どころか、ランタンや蝋燭などの照明器具すら見当たらない。
 ここまで殺風景になったのは、ウリルがこの部屋を使うようになってからである。
 それまでは、先代の頭が私室として使っていた。
 この部屋で、ウリルは次の頭になるように頼まれた。
 頼まれてから、先代がこの世を去るまで一カ月とかからなかった。
 あれからもう一年。早いようで、ずっと昔だったような気もする。

 私は、どうしてここにいるのだろう。
 どうして今も、生きているのだろう。

 今でもウリルは、自分の存在を認められていなかった。
 そして、それを実感すると同時に、無意識に呟く名。

「ウリル……」

 それはもちろん、彼女。もとい、彼自身の名ではない。
 名前を尋ねられ、とっさに出た名。自分のせいで失ってしまった、大切な人の名前……
 自分の呟きに気が付き、それをきっかけにあの男のことを思い出す。彼女の形見である石を見て、不思議な反応を示したあの男。

 柊夢幻。

 大陸警備機構という、公的組織に所属する冒険者。
 それでいて、独特な文化を持つ異国の出身の男。
 違和感のある組み合わせ。それだけで、十分に興味を引く要素ではある。
 しかしそれ以上に、その雰囲気が。まっすぐなまなざしが忘れられなかった。
 興味。そんな言葉で片付けられないほどの何かを、感じていた。
 ウリルは元々、他人に興味を持つこと自体が珍しい。自分でも、驚いていた。この落ち着かない気持ちは、魔法を解かれたことに対する動揺だけでもないらしい。

 コンコン……

 静寂と暗闇に支配された部屋に、控え目なノックの音が響いた。
 ウリルが部屋に引きこもってから今まで。この部屋に、ひっきりなしに盗賊団の仲間たちが訪れていた。その度に聞こえていたのは、審議を問いただす声。怒り。不安。しかし、ウリルは部屋の扉を固く閉ざし、彼らと言葉を交わすことすらしなかった。
 いつの間にか、ノックの音を。かけられる言葉を無視するということに、すっかり慣れきってしまっていた。
 だから、このノックの音に対しても、何の感慨を抱くこともなく聞き流していた。

 だが。

 一呼吸置いて。ウリルは閉ざされた扉に視線を向けた。
 弱弱しいノック音。躊躇う沈黙。
 音ではなく、その気配に、今日部屋を訪ねてきた仲間たちとは違うものを感じた。
 そして、長い……長く感じられた沈黙の後に聞こえた、か細い声は、ウリルの予想通りの声であった。

「ウリル。入っても、いいかな……」

 答える代わりに、ウリルは静かに扉を開けた。
 立っていたのは、ほっそりした一人の女性。
 まさか、開けてもらえるとは思っていなかったのだろう。翡翠色の瞳が、驚きに見開かれている。そう。彼女はある意味、今回の騒ぎのきっかけとなった人物。サシャであった。
 さすがに顔色はあまり良くないが、思ったよりも元気そうだ。

「その……シュンには止められたのだけれど……やっぱり、その……眠れなくて……」

 途切れ途切れに言葉を紡ぐサシャ。その姿に、ウリルが保っていた無表情が徐々に緩んでいく。

「入って。私も、あなたと話がしたかったの」

 ウリルは柔らかく微笑んで、サシャを部屋へと招き入れた。

 ほんのりと明るくなる程度に魔法の玉を浮かせ、ソファのある場所ではなく、続き部屋となっている寝室へサシャを通す。
 大きいベッドがひとつだけ置いてある、小さい部屋だ。
 先に、サシャが躊躇いのない足取りでベッドに腰かけ、ウリルも、その隣に腰を下ろす。

「もう身体は大丈夫なの?」

 部屋が暗いこともあるが、彼女は常に袖の長いブラウスを身に着けているため、怪我の様子はわからない。
 それに、彼女の調子は目に見える部分だけではない。

「大丈夫よ。いつものことだもの。その……ごめんなさい」

 そう返して、サシャはうつむく。ウリルは彼女を安心させるためにその肩を抱き、なるべく軽い調子を心がけて会話をつなげる。

「そう。いつものことなのよ。こうなる可能性は、わかっていたはずなのに。私こそ、ごめんね。サシャが気にする必要なんて、何もないわ」

 サシャは、しっかりしているように見えて、非常に不安定な精神状態にある。誰かが側にいないと眠れない。突然意味もなく取り乱す。手首に刻まれた傷跡も、ひとつやふたつではない。
 薬物依存症。
 それが、先代の頭から聞いた、サシャの異常の原因だった。
 過去に貴族に騙されて薬物の実験台にされた。ということだったが、当人も、弟であるはずのシュンも話したがらないため、詳しいことは知らない。
 ただ、こんなことになってしまった原因は自分にある。と、先代が漏らしたことがあったくらいである。
 思えば、先代とサシャの関係も不思議ではあった。
 あんなに常に一緒にいて、他に女はいなかったにも関わらず、二人の関係はあくまで愛人。そして、ウリルがここに来てからわりと早い段階で、先代からサシャの面倒を頼まれた。

 どうして、あいつは私のことをあんなにも高く買っていたのだろうか。

 その理由は、なんとなく予想がついている。そいつは、先代だけは、すぐにウリルが男であることを見抜いたのだ。ウリルがただの浮浪者なんかじゃないことくらい、お見通しだったのだろう。

 だけど。

 結局私は、上手くやれなかった。

 これから、どうすればいいのだろう。
 何を取って、何を切り捨てるのか。一番大事なものは、何か……。
 もしかしたら、とっくに自分の中で答えは出ているのかもしれない。
 それでも……。

「ウリル?」

 呼びかけられて、我に返る。
 ウリルの腕の中に身を預けていたサシャがいつの間にか顔を上げ、ウリルの瞳を見つめていた。その、何か決意を秘めたような瞳は、あの時のあいつに似ているような気がした。そして、その言葉も。

「迷って……いるのでしょう?」

 ウリルの表情は動かなかったが、内心では感心していた。感情を表に出さないことには自信があるウリルに対して、サシャはまるで心を読めるようにずばりと言い当ててくることは、よくあった。

 もしかしたら、サシャが私に必要な存在だと思ったから、近くに置いてくれていたのかもしれない。

 ウリルは、答える代わりにサシャの身体をそっとベッドに押し倒した。

「心配しなくても大丈夫よ。少し眠るといいわ。ここにいてあげるから」
「みんな、ウリルのこと心配してる。確かにまだ混乱してるけど、ウリルはウリルだもの。みんな、それくらい分かっているわ。……私も……」

 サシャの伸ばす手に引かれ、ウリルもその隣に倒れ込む。サシャは、そのままウリルに抱き付き、顔をうずめる。

「私も……貴方を求めてる」

 囁くような声。
 それが、何を意味するのか解らないほどウリルも鈍くはない。

「サシャ、私は……」

 サシャは、ウリルに男の部分を求めている。だけど……

「私は、私でしかない。今までも、これからも。だから、私は今まで通りにしかできない」

 その想いには、答えられない。

「なんでかな。そう、言われるような気がしてた」

 少し寂しそうに微笑むサシャ。
 だからせめて、今まで通りの自分のやり方で彼女に応えようとウリルは上体を起こした。
 白い肌に、優しく指を這わせる。ためらいがちだったサシャの吐息が、徐々に熱を帯びてくる。どのくらいそうしていただろうか。
 不意に、吐息交じりの声が、呟くように伝えてきた。

「ウリルが、一番やりたいと思うことをすればいいと思うよ」